人の手の温もりある支援を
Café de FUKUSHIMA 活動報告


熊本・大分で群発大地震が発生しました。
被災された方々の上に神さまの慰めがありますようにお祈りしております。

東北ヘルプでも、この地震への支援を開始いたしました。
第一報はこちらをご覧下さい。(クリックでページが開きます)
今後も続報が入り次第、ご報告させていただきます。

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東北・福島の現場から、石川和宏さんのご報告をお届けいたします。

福島の被災者からこんなお話しを良く伺います。
支援者にゆっくりとした交流の時をつくってもらいたい。

さりとて現在、支援者は眼に見えて減少しております。
そこに被災者の寂しさが重なってまいります。

だからこそ、支援者の方々の訪問は心から喜ばれています。
こういった機会を作り、提供することが、今大きな意味を持っています。
今回の石川さんの報告にもこうあります。

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南相馬での「大人のお楽しみ会」支援の結果
参加者数 47 名(他に社協関係者 13 名、その他奉仕者数名)
全体では 70 名程度
コーヒーとお菓子を提供(コーヒーメーカー3 台でフル回転)


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支援は時と共に確実に変化しています。
それは時間と手間のかかる、丁寧なかかわりが求められる支援です。
人と人との関わりにある働きです。
そしてそれは、クリスチャンの言葉を用いるなら、
祈りと御言葉に支えられて、送り出される中でなされる働きと言えるのでしょう。

石川さんの素晴らしいお働きのご報告をぜひご高覧ください。

(2016年4月20日 東北ヘルプ理事 阿部頌栄)


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仮設住宅等でのディアコニア報告書

*報告期間:2016 年 3 月 16 日(水)~3 月 26 日(土)
2016 年 4 月 13 日 Cafe de FUKUSHIMA 石川和宏



◇2016 年 3 月 16 日(水)a.m. 横浜発 (荷物の搬入・食料等翌日の準備)
【1】2016 年 3 月 17 日(木) 二本松市 「杉田農村広場仮設住宅」
64 戸建設。今住んでいるのは、31 世帯(約半分)。倉庫などもあり使っているのは 38 戸。
全員が浪江町からの避難者で、2 回目の訪問(前回は昨年 1 月)
浪江町生活支援課避難生活支援係の仲介 支援者 石川和宏
市街地からは遠い里山の中にある。
60 歳代の高齢者が多く、若い人はほとんどいない。
提供したのは、DVD(綾小路きみまろライブ第 3 集)・昼食(豚汁)・カフェ(コーヒーとケーキ)・庖丁研ぎ
仮設近くの道路脇にフレコンバック仮置場があり計測したら、0.62μSv あった。(写真1)

支援の結果
参加者数 13 名(内男性 2 名、幼児 1 名)
庖丁研ぎ 10 世帯 12 本(研いだ後の各戸配達も手伝って頂いた。)
豚汁 8 リッ トル(40 人)分、ご飯 14 カップ

皆さまからお聴きしたこと・参加者の様子など
原発からの避難について
・消防団が避難するように回ったらしいが、聞こえなかった。それで避難が遅れた。
・高台だったので、家から避難する車の明かりの列が見えた。何だろうと思った。
・村から避難する最後のバスに乗った。乗客は 2 名だった。
・水曜日(3 月 16 日)の雪が降った日に村から東和町(二本松市)に避難した。食事はおにぎりが半分だった。その後猪苗代の旅館に移った。
・避難中に高血圧など持病の薬が手に入らなかった。病院の薬も切れていた。それで病気が悪化しても医者は、「因果関係なし」と言う。
・犬を 2 匹飼っていたので、2 日に 1 度餌やりに通った。
・避難中、3~4 日は、車中にいた。ほとんど食えなかった。
・大熊町・双葉町からは東電の手配した避難のバスが 44 台出た。「浪江の人はダメ」と言われ乗せてもらえなかった。

放射能・除染について
・屋外は線量高い。子供を遊ばせる公園もない。
・浪江に行くときは、津島地区辺りで線量が高くて、警報ブザーが鳴りっぱなしになる。
・近くの公園の除染をしたのは、1年半後。1.4μSv が 1.3μSv になった。ブランコの近くは 2μSv 以上あった。家の前に自分で作った。(写真2)
・線量測定点だけ除染している。
・テレビの撮影があると、その時だけ丁寧に除染している。
・除染は、一週間で元の数値に戻ってしまう。かえって前よりも高くなることもある。
・家から 20mの範囲は、木を切る。その外は落ち葉を拾うだけの除染。
・屋根瓦が壊れているとそこは除染しない。
・学校を除染して再開したとしても、家から学校までの通路も同じように除染しないと通学で被曝する。
・浪江の中学校の近くは、3.5μSv あった。
・家の中でも 2.1μSv~2.5μSv ある。天井の瓦の間などが除染できない。屋根を取替えないと下がらないと言われている。
・庭や道路は、表面を剥ぎ取っても、除染後に砂利を敷くとその中に土ぼこりと共に放射能が入り込んでまた線量が高くなってしまう。
・最近は屋根なども高圧放水で除染する。除染に使った水が流れた先の川から放水する水を汲んでくる。何にもならない。水が乾けば放射能が残る。

現在の生活について
・ここでも水道水を飲まない人は多い。
・今日は、彼岸で家に帰っている人も多い。連休中は帰る人で道路が混む。
・復興住宅に移る人もいる。いわき市・福島市・二本松市などにある。
・空いている部屋は、倉庫として借りられる場合もある。敷地内に小さな木造の倉庫があるが、ネズミや蛇が入る。
・会社の定年後、念願であった浪江町津島に移り住んだ。3000 坪を開墾して、栗・桜んぼ・ブルーベリーなどを植えた。キノコも栽培した。移住 7 年目に原発事故があり、今は帰還困難区域になってしまい、それらを失った。やっと収穫できるようになったのに。
・福島医大やその系列病院に関しては、周りの皆さんが信用していない。平田村の平田病院は、そういうことが無いので、行く人が多い。
・取材に来たマスコミに除染の問題など指摘したら、「東電はスポンサーなので、分かってはいるのだが、そこまで書いてもカットされる」と言っていた。
・避難先で、「税金を払わずにゴミを捨てるな」と言われた。
・「避難していることは遊ばない」と言われる子供もいる。
・避難中に不登校になる子供もいる。小学3年生から中学1年生まで不登校が続いている子供も知っている。
・線量の高い測定ポイントは「故障中」が多い。
・原発爆発後に子どもが生まれた。浪江町は 15 歳以下は立ち入れないので、子どもは未だ自分の家や育った所を見たことがない。写真で見せている。
・ボランティアは減った。月 2 件くらい。全く来ない月もある。

故郷の様子・帰還
・家はネズミにかじられる被害が大きい。
・猿が去年から非常に増えた。
・畑では、柳の木が「植えたように」繁茂している。
・線量が高いので戻らない。
・復興住宅に引っ越ししても、直ぐ避難指示が解除になるのであれば、また動かなくてはならなくなる。
・浪江の家の賠償を受けても、土地は坪 3 万円~5 万円。二本松では 12 万円。いわき市に土地を買うと 30 万円する。何分の一かの広さの家しか建てられない。
・原発から核燃料を取り出し終わってから解除にすべきだ。

その他のこと
・また機会があれば来て下さい。
・理髪用ハサミを依頼された。浪江では、ボランティアとして老人ホームで 50 人位のカットをしていたという婦人。仮設でも皆さんのカットをボランティアでしている。
・写真撮影時のポーズ(掛け声)は、「浪江頑張ろう」「浪江戻るぞ」「浪江返せ」の中で三択して頂いたが、ここでも皆さんの一番人気は、「浪江を帰せ!」だった。


【2】2016 年 3 月 18 日(金) 南相馬市 真野地区「大人のお楽しみ会」
これは、社協主催の会で、地震津波原発で敬老会がなくなった地域の高齢者を対象にしている。南相馬市の社協からサマリタンハウスに協力要請があった。真野地区には仮設住宅が集中しているので、そこから来られた方もいた。

支援の結果
参加者数 47 名(他に社協関係者 13 名、その他奉仕者数名)全体では 70 名程度
コーヒーとお菓子を提供(コーヒーメーカー3 台でフル回転)

皆さまからお聴きしたこと・参加者の様子など
・海から 4 ㎞離れた所で、鮮魚などを売っていた。全部津波で流された。
・相馬の魚はおいしかった。今は(放射能で)獲ることができない。
・原発事故後は、会津・伊達市などに避難した。
・寺内第 1 仮設住宅にいた。家を建てて引っ越した。
・孫は保育士をしていたが、原発事故で子供が(避難して)居なくなり、失職した。
・農家だったが、津波で農機具が流された。これから揃えるのは大変だ。
・米は作っても食用にはできず、飼料米として作っている。
・野菜を作っても、自分の子供は、放射能だからと言って福島産は食べない。
・こういう会は有り難い。月一回くらいはやってもらいたい。

◇2016 年 3 月 19 日(土) (仕込み)

◇2016 年 3 月 20 日(日)(角田キリスト教会)(夕刻石川千鶴子と合流)
「子供ピクニック」(*)(21 日)の用品(遊び道具・お菓子・飲み物など)準備
*名古屋岩の上教会主催で坂戸教会青年有志が支援する会 南相馬市の小学生を放射能の心配が無い所で一日遊ばせる企画 今回で2回目


【3】2016 年 3 月 21 日(月・休) 郡山市 「若宮前仮設住宅」「稲川原仮設住宅」
川内村から郡山市に避難している方々の住む仮設住宅、近くに奥州大学がある。
川内村社会福祉協議会に仲介して頂いた。3 回目の訪問(前回は 1 月 25 日) 。
2 つの仮設住宅が隣接し、在住者は、おおよそ、若宮前が 50 世帯・稲川原が 30 世帯、合計 80 世帯。
若宮前の敷地内には、富岡町・双葉町の仮設もある。
川内村の仮設は、この 2 か所の他、郡山南一丁目、田村市、いわき市にもある。郡山市以外は、規模としては小さい。川内村(村内)にも仮設住宅があり、現在訪問を検討している。
提供したのは、腹話術・DVD(綾小路きみまろライブ第 4 集)・昼食(豚汁)・カフェ(コーヒーとケーキ)・庖丁研ぎ
奉仕者は、石川和宏・石川千鶴子

支援の結果
参加者数 21 名(内男性 5 名)
庖丁研ぎ 18 世帯 18 本(稲川原は 3 世帯 3 本)
来場者に「米」支援(1 ㎏袋 3 個づつ)と缶詰をお渡しした。

皆さまからお聴きしたこと・参加者の様子など
・牛を飼っていた。山に放してから避難した。殺処分することになって、牛を集めるのに協力させられた。牛には名前を付けていて、呼べば寄ってくる。そして捕まえて注射で殺した。可愛そうで殺すところは見ることができなかった。乳牛は首輪を付けて牛舎にいたが、ミイラになって死んでいた。牛は何も悪いことをしていないのに。
・親戚のいる小野町(田村郡)に避難した。長居はできなかった。
・国は、避難者をなくしたいと思っている。村の方も同じだ。
・村の小学校は、卒業が 7 人、入学が 1 人、在校生は 8 名。3,000 人いた村が 15 年後は 900 人になるという予測がある。
・村に店ができたが、そこで働くのは村外からの移住者だ。
・村では山を持っていた。キノコが好きで、子どもの頃から取っていたのだが…。
・3 月 16 日に避難した。村では最後だった。
・東電には知り合いがいなくて、事故や非難の情報が無かった。
・家は地震の被害はなかったが、テレビが盗まれた。
・29 年(2017 年)3 月に仮設住宅と借上住宅の補助(6 万 5 千円)が廃止になるようだ。
・車を運転できる年齢は帰村するだろうが、そうでない人はこのままだ。 ・ほとんどの人は病院に世話になっている。2 つくらいは病院に行っている。病院がないと戻るのは難しい。
・川内村の仮設は、毎年延長願いを出して今日に至った。ここでは皆さんに多少は目も行き届く。村では高齢者を手厚く見守ろうとしているが、世話する人が集まらない。全てマンパワー不足だ。
・2 年間川内村にある自宅の片付けや掃除に通った。帰村できる見通しがなく、壊れていくのを見るのが嫌で、解体した。

名古屋岩の上教会関係者からの支援物資(写真10)
岩の上教会が一般市民の方々や改革派中部中会内に呼び掛け教会に集まったもの。サマリタンハウスに運んで頂いた。米(17 袋・132 ㎏)や缶詰等(数十個)があり、全て被災者に届けた。
イベントに来られた方には、お一人3㎏ずつ配ったが、皆さんとても(私が想像していた以上に)喜んでおられた。缶詰なども全て手渡ししたが、「助かる」と言って帰られた方も何人かおられた。
当日直接配りきれなかった分は、川内村の NPO 法人「昭和横町」の志田代表(南一丁目の自治会長で村会議員)直接お渡しした。他の物資を配る時に併せて仮設住民の皆さんに配布するとのこと。
物資は、「集める」ことの他に、ニーズの把握、輸送や保管、配布の方法などが確立していないと被災者の助けにならない。今回は、3 月 12 日に呼び掛け、とても早く、大量に集まり、10 日後には皆さんの手元に届いた。

◇2016 年 3 月 22 日(火)(仕込み)

【4】2016 年 3 月 23 日(水) 南相馬市「友伸グランド仮設住宅」
138 戸建設で 100 世帯以上が居住中。他の仮設から移ってくる人もいる。
南相馬市鹿島区の仮設住宅が集中する地区にある。ほとんどが小高区民 3 回目の訪問(前回は昨年 7 月)で、この仮設を常時支援している NPO「つながっぺ南相馬」の了解を得て訪問(支援)した。
この仮設は、当初 75歳以上が入居の条件だった。高齢者が多い仮設住宅だが、皆さんが良く笑う明るい仮設住宅。杉重博自治会長もそのような仮設を目指し努力している。

支援の結果
参加者数 23 名(内男性 7 名)
豚汁 8 リッ トル(40 人)分、ご飯 14 カップ
庖丁研ぎ 19 世帯 20 本(内ナタ 4 本、花ハサミ 1 本)

皆さまからお聴きしたこと・参加者の様子など
・震災後南相馬市は内陸部に集団移転用地を作った。でも 60 戸あった部落でそこに移ったのは数戸。みんな他所に行ってしまった。
・原発から 15 ㎞で、自宅の線量は 0.6 ある。家の裏は 1.2 ある。
・自宅は線量が高い。3 歳の孫がいるので、解除になっても戻れない。
・息子は東京にいる。定年になったら小高に帰るつもりだった。この事故で帰ってこない。ジジババだけになる。
・孫は 5 年生だが、勿論南相馬には来ない。
・(老人ホームで働いていた男性)避難指示解除で老人ホームも引っ越しする。3 月~6 月はそのためにホームは休業。その間は、仕事も無い。(注:南相馬市は、その後解除時期が延期になった。)
・小高は、農業では生活できない。作っても売れない。買ってもらえない。
・ジャガイモを植えたがイノシシがたくさんいるのでどうなるか?
・キューイが生っているが、「事故責任でたべて下さい」と言われている。
・ミョウガを食えるか聞いたが、「少しくらいなら」と言われた。
・ふきのとうは、線量が高くて食えなかった。
・作物が検査で引っ掛かると、別の名前で再提出する人もいる。1 回目がOKで 2 回目がダメということもある。
・げんちゃんが大人気で、皆さんにお小遣いをもらっていた。(いよいよ「旅回り芸人一座」に!?)


【5】2016 年 3 月 24 日(木) 南相馬市 鹿島区「元気塾」
ここは、鹿島区在住の閉じこもりがち、軽度認知症の高齢者、避難を余儀なくされている高齢者等を対象に、介護予防を目的とした交流会(例:軽体操、輪投げ、バス遠足、保育園児・障がい者との交流など)を行っている。(赤い羽根共同募金のサイトから転載)
社会福祉協議会からの要請で 6 回目の支援になる。 皆さんが原発から避難した経験者で、今も仮設に住んでいる方もおられた。
赤十字の方が数名健康相談や血圧測定に、また民生委員の方々がイベントの手伝いに来ておられた。ボランティア活動の最前線を見させて頂いた。

支援の結果
参加者 29 名+奉仕者 11 名、合計 40 名
豚汁 20 リットル ご飯 24 カップ
提供したもの 食事(ご飯豚汁漬け物)腹話術 DVD 上映(きみまろ第六集 part1・ぶんぶく茶釜・笑点(レッツゴー3 匹・東京コミックショー))


【6】2016 年 3 月 25 日(金) 南相馬市「牛河内第 2 仮設住宅」
建設戸数 78 戸で「空き家は数軒」 原発から避難している南相馬市小高区民が住む。
昨年 8 月に続き 3 回目の訪問で、南相馬市絆職員の方に仲介して頂いた。
仮設にしては珍しく 50 歳代・60 歳代の方が多かった。若い層が多いと高齢者は出にくいこともあるそう。
皆さんに本当によく手伝ってくださり、こちらは楽をさせて頂いた。
仮設の近くに住む地元の方が参加された。
畑作をしておられ、作物を仮設に届けて下さる方という。地元民と仮設住民の交流の珍しい例。
終了後隣接する牛河内第 3 仮設住宅にご飯・豚汁と、名古屋岩の上教会が呼び掛けて集めて頂いた和服生地(手芸用)をお届けした。

支援の結果
参加者数 27 名(内男性 5 名)
庖丁研ぎ 10 世帯 12 本(草刈り鎌1本)
豚汁 8 リッ トル(40 人)分、ご飯 16 カップ
3 時まで約 10 名位の方にカラオケを楽しんで頂いた。

皆さまからお聴きしたこと・参加者の様子など
・今日は、いる人の 80%くらい出てきた(参加した)のではないか。
・何もすることがない。本当に辛い。だからこういうイベントがあるとみんな張り切って働く。
・昨日、天理教が来て、部屋や換気扇の掃除をしてくれた。有り難い。
・大分県からマッサージの人が来てくれる。
・母親は震災前は家事・畑仕事を元気にこなしていた。仮設で 5 年も暮らす内に一気に年を取ってしまった。今は、認知症気味で、外に出ることを嫌がる。
・実家が大熊町にある。賠償金・補償金など、小高に較べて桁違いである。
・息子が戻らないので、わたしも戻らない。
・郡山で暮らす息子達が一緒に暮らそうと言うが、夫はどうしても小高に帰りたいと言っている。それで、リフォームを始めた。大きい家なので今年いっぱい掛かると思う。そこまでして帰るのがいいのか、わたしには迷いがある。
・小高に戻るのは、住民の 10%から 20%だろう。
・原発事故は、日本へのお灸だ。事故になっても被災者が少ない過疎の福島が選ばれた。これが浜岡だったりしたら日本中がダメになっていた。
・また来てください。

◇2016 年 3 月 26 日(土) (片付け・掃除・補充品確認 a.m.中に横浜へ)


【7】今回の支援のまとめ
・今回支援させていただいた方は、小高区民(南相馬市)2 ヶ所、社協主催の高齢者の集会(同)2 ヶ所、浪江町民(二本松市)、川内村民(郡山市)2 仮設で、合計 7 ヶ所。
・出会った方は、関係者を除いて 160 名(内男性 34 名)
・庖丁研ぎは、57 世帯 63 本
・今回も、チラシ配布やポスター出しは、全て引き受けて頂いた。当日は、資材搬入から配膳・食器洗い・車への積み込みまで、皆さんに手伝って頂いた。
・名古屋岩の上教会が集めてくださった米などを現地にお届けした。港南台キリスト教会の皆さまからは、たくさんのお菓子を頂いた。これらは被災者・避難者の皆さんお届けした。
・各自治体は、避難指示解除に向けての動きを加速している。しかし、除染や医療・買い物など、生活者にとっては帰還出来る状況にない。この落差が皆さんのストレスになっている。ストレスの原因が、「帰れない」から「帰される」に代わった方も多い。
・仮に帰還しても、場所が変わるだけでその後も支援の必要性はなくならない。川内村や南相馬市などの関係者からは、既に帰還した住民のためのイベント開催の要請も来ている。
・次回は、4 月 13 日出発で、9 日間。浪江町・飯舘村・川内村・葛尾村・南相馬市の 5 ヶ所を訪問し、支援する予定
・その次は、4 月 30 日出発で、8 日間・5 ヶ所・7 仮設住宅を支援する予定。5 月 2 日は、名古屋岩の上教会と共同開催で、4つの仮設住宅を支援する計画を詰めている。





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