心理学とオカルトと
震災以来、たくさんの取材を受けるようになりました。
記者のみなさまは、本当に熱心で、いつも良い記事を書いてくださいます。ただ、取材を多く受けるにつれ、わかったことがあります。それは、「記事は、記者の作品である」ということです。
記事の取材対象である私や支援活動は、記事に載った表現と、精確に同じではない。そうしたことはありえない。それは、考えてみれば当然ですが、しかし、その当事者になってみますと、その事柄の重さを思い知らされます。
しかし、記事と実際との間の「ズレ」は、私たちの現実の活動を、創造的に展開してくれる機会ともなります。むしろそこにこそ、報道が持つ大きな価値があるのかもしれません。
ロンドンのTimesという新聞があります。この新聞の記者の方が、私たちの「心の相談室」の働きを記事にしてくださいました。私も取材されましたが、中心として取り上げられたのは、築館という場所にある通大寺ご住職・金田老師でした。金田師は、この記事を読んで、「実にロンドンらしい」と、笑っておられました。
確かに、「ロンドンらしい」記事でした。私も、取材を受けたのですが、私が言わないだろうことが、私の言葉として、書かれています。その記事を以下にご紹介します。
この記事は、私たちに、一つの創造的展開をもたらすきっかけとなりました。それは、「心理学」と「オカルト」という二つの極端についての考察です。
キリスト教も、仏教も、宗教というものは一概に、それが健全である限り、「目に見える事柄」と「目に見えない事柄」の両方を包括して存在しています。その片方に偏れば、それはたとえば「トラウマ」等の心理学の領域となり、また片方に偏れば、「幽霊」等のオカルトの領域になります。心理学もオカルトも、それはそれで意義深いものです。しかし、それは宗教とは違う。――そうしたことを、先日、ある牧師と議論し、深く学んだのでした。
私は牧師・神学者です。「トラウマ」について語る資格を持っていません。それでも、それを語ったことになっている、そんな記事を以下にご案内します。この記事と現実の間にあるズレは、しかし、先日学ばせて頂いた事柄を深く思い出させてくれるものでした。そのことに感謝を込めて、以下に、Timesの記事をお送りします。
悲しみの声が津波から1年の沈黙をやぶる
被災者の暗闇の中で津波の霊が立ち戻る
(翻訳=遠藤・川上)
日本での被災から1年、-科学的に説明できないことなのか、それとも心理的なものなのか- 悲しみに残された人々にとってつきまとう厄介なものについて、Richard Lloyd Parryがレポートします。
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それが出没し始めたのは津波がやってきた2週間後のある春の夜のことだ。
小野武(仮名)さんは津波被災地の廃墟となった町や瓦礫の山を見に行った。「私は帰宅後、私は家族と一緒に食事をしました」と彼は回想する。 「私はビール缶を何本か開けて、酔いつぶれてしまいました。その後、私は何も覚えていません。」
その次に、何が起こったのか。それを伝えたのは、恐れおののいている彼の妻であった。妻によると、彼は動物のように毛布をなめ、「誰もが死ななければならない!すべてが滅びなければならない! 」と叫び始めたのだという。
小野さんは、通常は明るく冷静な男性である。36歳で、建築業を営んでいる。この小野さんが、外に走って行き、地面に寝転がったというのだ。更に次の朝、小野さんは誰にも見えない人々を見始めるようになる。彼が見たのは、お年寄りの男女で、泥だらけになった小さな子供と手をつないで歩く姿だった。――津波で亡くなった人の幽霊だ。
このことがあってから2日の後、絶望的になった彼の家族は、地元の僧侶・金田諦応住職のもとに彼を連れて行った。「彼の目は死んでいて、生気のない顔をしていました。」と、金田住職は述べる。 「彼を見たとき、すぐに彼の表情から彼がとりつかれていることがわかりました。だから私は、悪魔祓いを行ったのです。」
彼は暴れる小野さんの襟元を掴み、彼の寺まで連れて行った。「なんだか、とても抵抗したいという衝動がありました――私は住職に対する敵意を抱いていました。」と、小野さんは述べる。 「しかし、住職がお経を読み始めると、私は安堵を感じました。私の目からは涙が、鼻からは鼻水が出てきました。」
金田住職はお経を唱え、聖水を小野さんにふりかけた。そして、最後には明らかに憑き物が落ち、小野さんは穏やかな気持になった。
以上の報告は、1970年代のホラー映画か何かのように聞こえるかもしれない。しかし、似たようなことが、様々な形で、震災以来、東北地方で起こっている。1年前に襲った地震と津波によって生き残った方々は、被災地での荒廃に悩まされているのである。
被災者のみならず、単に被害を目撃しただけの人々からも、幽霊や精霊の存在が報告されている。そしていくつかのケースで、そうしたものを追い払うために金田住職のような司祭が呼び出されている。
たとえば、死んだ同僚の机の周りに不自然な寒気を感じると報告する事務員がいる。助けることが出来なかった友人や愛する人々の悪夢に悩まされる人たちがいる。そして、小野さんのように、霊にとりつかれたように見える人たちがいる。被災地には、様々な形での苦しみがみられる。
問題に直面した宗教指導者たちはこういった幽霊が共通のところから生み出されていることを認めている。それは、19,000人の死者を出し、未だに3200人も発見されていないという災害の心理的な恐怖である。
「ある人々は夜中に暗闇の中で目玉を見つけています」と、 金田住職と共に被災地支援活動に携わるキリスト教の川上直哉牧師は言う。 「何かが柱のそばに立っていると感じたり、目に見えない何かが外で待っていると感じたり、何かわからないものの声を聞たりします。多くの人々が最近幽霊を見ています。その原因は被災のトラウマです。人々が海辺で幽霊を見た話をしますが、彼らが話しているのは家に戻るのが困難だ、ということなのです。」
地震は2時46分に起こり、約40分後に津波がやって来た。いくつかの場所では38メートルもの高さに達する。少なくとも13万件の住宅や建物が破壊され、92万件が何らかの被害を受けた。344,000人の人が家を失い、学校、体育館、寺院の床で寝泊まりをした。
1年間で自分の家を再建した被災者はほとんどいない。そのかわり、人々は全国に分散し、賃貸住宅、「仮設住宅」として知られている金属でできた箱型施設、または親戚の家等に住んでいる。現在、食糧、避難所、医療サービスを避難者に提供するという当面の問題は解決した。これからは、うつ病、慢性的な不安や自殺といったあまり眼に見えないけれども壊滅的な二次災害を防止することに力を注いで行く必要がある。
政府の調査では先週、津波被害を受けた宮城県と岩手県で、10人に4人の被災者が不眠に苦しみ、22%の人々がうつ症状を抱えていることが明らかになった。「津波によって引き起こされる心理的な問題は本当に深刻です」と、仙台市内の日本赤十字秋田大学で臨床心理学を教える斉藤和季教授は述べる。
「精神的な問題だけでなく、高血圧などの身体的な問題に苦しんでいる人たちもいます。一部の人は朝からお酒を飲み始めています。これではアルコール依存症につながってしまいます。」以前はこういった情報収集はソーシャルワーカーによって行われてきた。しかし大多数が津波で亡くなってしまった陸前高田町のような被災地では、こういった情報についての正確な統計を出すことも難しくなっている。
災害時に見られる二つの日本的側面が、被災者の心理的苦痛を追加した。そのうちの一つは、被災直後には日本の長所のように見えたものだ。それは、生存者の困難な状況に対処できるという性質と不平禁欲主義である。
予想に反して、窮屈で不快な避難所で強制的に生活させられていた時、目に見える絶望や悲しみといったものは、ほとんどなかった。「彼らは泣かなかったのです。彼らはすべてを失ったのでしょうが、彼らはまったく感情を出しませんでした」と被災者のために200回もの葬式を行った金田住職は述べる。「彼らの悲しみはとても深く、あまりに突然に起こった出来事なので、何が起こったのかを理解すること自体が困難だったのでしょう。」
しかし、巨大な金属容器のような仮設住宅へ被災者が移動したとき、変化が起こった。窮屈だけれども和気あいあいと共同で生活していた避難所から、相対的にはプライバシーが守られる仮設住宅に移動した時、悲しみと損失は、まるで津波の第二波のように押し寄せてきたのである。
「ある人達はあまりにも感情を表に出さないために、泣く機会を失ってしまいました」と、仏教僧侶の谷山洋三氏は言う。「彼らは悲しみが積もり積もって怒りや絶望に変わることに気づいていないのです。」
津波は、生命や家屋を破壊しただけではない。津波はまた、日本の家族の精神的基盤をも破壊してしまった。このことが、津波被害の特徴であったという。家が残っている場合でも、家族が逃げきる事ができた場合でも、津波が精神的な信仰の中心である3つのものを押し流してしまったのだ。それは、墓地、寺院、そして家族の祖先の名前が書かれている位牌である。
多くの人が突然亡くなった。それで、多くの家族が、伝統的な仏教儀式なしに自分の愛する人を埋葬しなければならなくなった。――それでも遺体が発見されている場合であり、それは幸運なケースと言えるかもしれない。「日本の宗教的信念は、祖先崇拝に基づいていました。その崇拝のシンボルが、失われてしまいました」と、東北大学宗教学部の鈴木岩弓教授は言う。日本の家族は、毎年8月に集まり、墓地で祈りを捧げる。その家族の墓地は、津波によって、洗い上げたように無くなった。その結果、多くの家族は、彼らが生きていた親と子供だけでなく、祖先までも失ったという感覚が残った。
「生きたかったのに、たくさんの人達は死ななければならなかったのです。」と小野氏は述べる。「死んでしまった人たちと生き残った人たちは、お互いに強い愛着を持っていたのです。だから、後悔の念からくる負担が強すぎるのです。それで、私は幽霊のようなものの存在を目にするか、または感じることは非常に自然なことだと思います。これは私自身の経験から言うことです。」
(引用:Times様 http://www.langaa-rpcig.net/+Ghosts-of-the-tsunami-return-in+.html)
レベッカ・ソルニットさん来訪
今年の3月11日を目指して、本当にたくさんの行事が行われました。 数千の花火を打ち上げる催事、宮城県内ほぼすべての宗教団体共同での合同慰霊祭、その他、私たちの身の回りでも、 たくさんの行事が行われました。 私たちが他の宗教者・医者・学者と共に作り上げ続けてきた「心の相談室」もまた、一周年ということで、何かしようか と、話し合いました。その話し合いの中で、一人のジャーナリストが米国から来仙するという情報が入りました。 「心の相談室」で接遇を、という依頼を頂いたのです。 その方は、レベッカ・ソルニットさんという方でした。日本でも、『災害ユートピア』という書物で知られた方です。 私たちは、この方を中心にイベントをしようかと話し合いました。しかし、イベントはしないことにしました。 むしろ、この方をお招きし、私たちについて取材をして頂いて、自分たちの一年間を振り返る時を持とうと思ったのでした。 その報告書を頂きましたので、以下にご案内します。 この報告書は、西本願寺ボランティアセンターの金澤豊先生がお書きくださったものです。 被災地における宗教者の協働の証として、ご報告いたします次第です。
報告書
日付:2012年3月10日(土) 報告者:金沢豊(浄土真宗本願寺派) 参加者:西本願寺ボランティアセンター、金剛寶山 輪王寺、松緑神道大和山青年部理事長、東北ヘルプ 15:00-16:30 ■曹洞宗 金剛寶山 輪王寺(仙台市青葉区)にて、日置道隆老師より「いのちを守る森の防潮堤」の説明を頂く。(その詳細は、こちらをごらんください) ■日置老師より、環境保全林作りの説明を受ける。特に震災後に宮脇昭氏と日置氏が提唱している植樹活動の概要と 震災瓦礫の活用方法のレクチャーを受けた。津波被害を被った現地の調査や啓発活動の写真を拝見し「楽しんで取り組む エコ活動」について意見を交換した。レベッカ氏は英語圏の話題の中心は原発であり、「災害後の悲嘆にどのように対応 しているのか」「寺院がどのような役割を果たしてきたのか」に興味があるとのこと。 16:30-17:00 自動車にて移動。 17:00-20:00 ■東北ヘルプ事務局にて情報交換会。 ■タイムライン ・川上氏による東北ヘルプの活動紹介と心の相談室の設立経緯説明 ・殿平氏、金沢による本願寺の活動紹介 ・菅井氏による名取市の状況、被災状況の説明 ・レベッカ氏によるコメント ・質問とフリートーク ■議論の所感 ・東北ヘルプ事務局をお借りし、円卓形式で情報交換会を行った。全体的にレベッカ氏に説明する形式をとったが、 各団体の1年間の活動を互いに確認する機会となった。 ・各自15分程度で説明。レベッカ氏のコメントと質疑応答も交えた。 ・東北ヘルプより、食品の放射能チェックや外国人被災者の支援など具体的な活動内容を紹介し、支援者の支援が継続してなされていると報告。 ・医療者が室長になり超宗教の宗教者の取り組みである「心の相談室」について紹介する。日本の宗教界が抱える政教分離の原則の問題を解説。 電話相談やラジオ番組の設立、サロン活動によって災害後の悲嘆に向き合ってきた一年間の実績を紹介。 ・名取で被災された松緑神道大和山青年部理事長より、一年間の報告。自宅が半壊した様子を鮮明に語られ、最近は「再建に向け」という報道に 違和感を覚えるとのこと。情報が遮断されている状態の方が精神的に安定していたといい、身勝手な報道が乱立する現状が指摘される。 ・西本願寺ボランティアセンターより、平時の日本の寺院の役割について紹介。金沢は自然災害を目の当たりにして僧侶として出来ることの一つに 悲しみの側に徹底的に寄り添うことを提案。 ■レベッカ氏コメント(抜粋) ・災害は突然起こり、人びとは居場所を失う。 →被災地の宗教者は、物理的にも精神的にも、人びとに居場所を提供していると理解している。 ・災害は民衆ではなくエリートがパニックを起こす。今回も例外ではなかった。 ・もとの秩序に戻るのではなく、新しい秩序を生み出さないと行けない。 ・政治ではなく自治が重要になる。 ・自著については、『災害ユートピア』という邦題がついていたが、原題は”A Paraise Bult In Hell” である。特にパラダイスとはHell(地獄?) の中に意味を見いだし、つながりを生み出すことだという補足説明があった。 ・大災害というものは、人間の本質を深く考える機会になる。 ※レベッカ氏はハードスケジュールのうえ一度に多くの情報を提供したため消化不良気味だった。情報を咀嚼していただき改めて意見を請う必要があると思う。 20時に閉会した。 以上
「スピリチュアル・ケア」と魂のこと
私たちは今、宗教学者・心理学者・医者・仏教者と共に、被災地における心のケアがどうあるべきかを、議論し続けています。その中で、さまざまな知見に触れる機会を得ています。そしてその新しい知見は、これまで知っていたことを新しく知る、という経験をもたらすものとなっています。
米国政府の緊急救援マニュアルによると、被災地において、まず最初に、緊急支援を行いつつ「現地の宗教状況」を調査するのだそうです。そしてその「現地の宗教」を活用することで、多くの身体と精神の疾患を防ぐことができるのだそうです。
宗教が担当するケアを、英語では「スピリチュアル・ケア」と言い、ドイツ語では「ゼール・ゾルゲ」と言います。それを訳すなら、「霊的なケア」とか「魂への配慮」ということになります。そうしたものがあれば、多くの身体・精神疾患が、未然に防げるということです。
ということは、つまり、今、私たちの社会は大切な何かを失っている、ということになるのだと思います。
2月になってから、そうした欠落を、強く感じるようになりました。
「外国人被災者支援プロジェクト」において、何十人もの困窮者の存在が確認されつつあります。私たちの国には、それなりに整った福祉制度があり、文明国にふさわしい救済手段があります。しかし、そうした制度や手段が、届いていない。
それはなぜか。
それは、一つには、困窮者が絶望しているからです。
あるいはそれは、困窮者が孤立しているからです。
絶望とはなんでしょうか。それは、望みを失っている状態です。望みとはなんでしょうか。それは、目に見えない未来です。
孤立とはなんでしょうか。それは、絆を失っている状態です。絆とはなんでしょうか。それは、目に見えない人との繋がりです。
「目に見えないもの」が、人間には必要なのです。その「目に見えないもの」を、仮に「スピリチュアル」と呼んでみましょう。そうすれば、「スピリチュアル・ケア」が必要だ、ということも、得心されるのではないでしょうか。
ライプニッツという哲学者が、「本当に大いなるものは否定によってだけ、言い表すことができる」と言っていました。「見え“ない”もの」「形の“ない”もの」という風に、「・・・ないもの」として言い表されるものがあります。それはきっと、「本当に大いなるもの」なのです。
そういえば、「星の王子様」も「大切なものは目には見えない」と言っていました。「・・・ないもの」とだけ言い表すことができるものは、きっと、「本当に大切なもの」なのだと思います。
「目に見えないもの」「形のないもの」。それは大切なものだ。だから、それが傷ついたなら、それを何とかしなければならない。絆とか、希望とか、そうしたものをもって、被災者を支援しなければならない――本当に、そう思います。
しかし、「目に見えないもの」「形のないもの」を、どうして取り扱うことができるでしょう。
おそらく、そのために必要なのは、「言葉(コトバ)」と「身体(カラダ)」なのだと思います。
思いを尽くしたコトバの中に、心がこもります。その言葉が、カラダを張って証しされるその時、そのコトバを聴く人は、人生の足場を思い出すのだと思います。そのようにして、「目に見えないもの」へのケアが行われる、そう思うのです。
キリスト教の伝統においては、「肉体」の中に場所を得た「霊(精神)」のことを、「魂」とか「生命」と呼んできました。そして、その「魂」をケアするのが牧師・神父の役割とされてきました。
今、被災地で、何人もの僧侶や神官が、まさに「魂」のケアに心を砕いています。カラダを張って、コトバを紡いでいます。その営みが今、次第に重要性を増しつつあります。その営みの必要性が、日を追うごとに、増しているように思うのです。
そうしたことを思いながら、以下に、東北ヘルプが関わりました講演会開催の報告書を公開いたします。いずれも、被災者に直接語りかけていただくことを主旨とした講演会です。一つは既に終わり、一つは近日開催されるものです。皆様のご支援によって、こうした会を開けますことを感謝しつつ、ここにご報告する次第です。
(2012年2月22日 川上直哉 記)
二つの講演会
東北ヘルプは、他団体と協力し、二つの講演会に関わりました。
一つは、柳田邦男氏による講演会です。この講演会は、「心の相談室」の主催として、東松島市等の後援を受け、3月3日(土)午後、行われます。詳細は、下記のチラシをご覧ください。
柳田さんは、ご子息を自死によって、突然に失いました。その悲しみと苦しみは、『犠牲』という書物に著されています。その柳田さんに、被災した方々へのメッセージを語っていただこう。そういう企画です。被災者の方々も登壇し、その言い尽くせない思いを語っていただきます。そして、柳田さんが語る。そこに私たちは、柳田さんの人格をかけたコトバを聴き取る。そうしたことが、目指されています。
もう一つの講演会は、相田みつを美術館館長による講演会です。この講演会は、「若林ヘルプ」様との共催として、仙台市の後援を受け、「こころのクスリ」と題して、1月26日に開催しました。
「若林ヘルプ」代表で、私たち「東北ヘルプ」の理事でもある黒須さんが、この企画を建てました。黒須さんは、震災直後から、この講演会を開催したいと願っていました。
黒須さんは、仙台市内に代々続く美容師です。もうずいぶん前、美容室が火事に遭いました。すべてを失ったように思えたとき、黒須さんを支えたのは、相田みつをさんの書だった、というのです。それで、この度被災したすべての人に、希望を持っていただくための「こころのクスリ」として、講演会を企画したのでした。
「東北ヘルプ」の川上が、仙台駅から講演会終了まで、講演者である相田一人さん(相田みつを美術館館長)の接遇をしました。相田一人さんは、まず仙台の津波被災地を通って海岸に行き、慰霊塔を訪れて追悼のまことを表してくださいました。
それから、会場に入ります。いくつかの取材や挨拶が、控室にて行われました。そして、開場となります。仮設住宅等から大勢の人が集まり、会場はすぐに満員となりました。
開演の直前まで、川上は控室に相田一人さんと一緒にいました。なかなか、立ち上がろうとされませんでした。被災者に語るということ、そのことの重みが、その腰を重くしているように見えました。「さあ行きましょう、きっと、みつをさんの書が、語るべきことを語ってくれます」と、川上がそう励まして、開演時間の2分前に、相田さんは会場に入られました。
仙台市若林区長の挨拶などを終え、いよいよ、講演が始まります。
相田みつをさんの書が紹介されます。そして、みつをさんの生涯が語られます。家族の期待を一身に受けての学業、その理不尽な挫折、敗戦と兄の死、母の錯乱するほどの悲しみ。そうした中で、書を追求するみつをさん。そして、独自の書体を確立し、どこまでも新しい言葉を求めて書き続ける。誰からも認められない。それでも、書き続ける。
お話を聴いているうちに、相田さんの書には生命(いのち)が込められているように思えてきます。
戦争は、相田さんの大切なものを、たくさん奪いました。たとえば、お兄さん。お兄さんは、貧しい相田家の事情をかみしめつつ、弟をかばい、悲しみを共にした。そのお兄さんは、小学校卒という学歴にもかかわらず、陸軍司令部に職を得て、スパイ取締担当となって中国大陸で働くことになる。しかしその職務に対する良心の呵責に耐えかね、すべての中国人を無罪放免し続ける兄。そのことを知らせる手紙は、その場で焼き捨てなければならない現実。そして、一発の銃弾がその兄の胸を打ち抜き、死亡したとの連絡を受ける。その死は即死であった、との報告が、錯乱する母の唯一の支えとなるが、しかし、その報告が誤りであり、長い時間苦しんで亡くなったことを伝える続報が届く。いよいよ錯乱する母。
そうした痛みの思いを込めて、「いのち」が書に表れる。
そうした書を遺した父上を想い、その父に認められなかったのではないかとの無念をにじませながら、相田一人さんが語る。
気が付くと、会場は涙でいっぱいになっていました。
「こころのクスリ」とは、なんでしょうか。きっとそれは、コトバなのです。それは、思いを尽くしたコトバです。それは、一人の人間の人生を賭けた語りの中に、場所を持ち、魂に届く。そういうコトバが、「こころのクスリ」なのだと思います。
私たちは、不安と絶望に苛まれる被災地に立ちます。皆様の祈りは、私たちすべてを支えるコトバとなります。どうぞ、今後とも、祈りに覚えてご加祷下さいますよう、お願いをいたします。
(2012年2月22日 川上直哉 記)
「心のケア/魂への配慮」
東北ヘルプは、その設立当初から、最も小さくされた人々へのケアをしようと志しました。
東北ヘルプは、3月18日に設立されました。当初は、毎週、「全体会」と呼ばれる会合を開きました。その第二回目、3月25日、一つの意見が出され、私たちは一つの大きな課題に取り組み始めることになります。
東北ヘルプは、設立後すぐ、物資支援に携わりました。教会はもとより、お寺や民生委員の皆様のお力をお借りして、必要なものが必要な場所へ届くための努力をし続けました。
その活動が1週間経った、3月25日のことです。「生きている人」へのケアが、たくさん報告されました。それは喜ばしい、輝かしい報告でした。しかしそこに、一つの指摘がなされます。それは、「死んだ人」へのケアの欠如でした。
津波は、すべてを押し流します。絶命した人の遺体も、容赦なく、津波は流して行きます。3月18日の津波被災地には、まだ、無数の遺体が、手も付けられず、泥と瓦礫の中に眠ったままになっていました。
私たちキリスト教の支援団体は、取り組むべき対象に、ひとつの基準をもっているはずです。それは、「一人の人、小さくされている人」へのケアを、最優先課題とするということです。
今、声も上げられずに横たわっている遺体がある。その死者こそ、「最も小さくされた人」ではないか。
そうした指摘が、3月25日に、全体会で、挙げられたのです。その指摘は、東北ヘルプ全体を動かしました。「死者へのケア」をしよう。すぐに、事務局は動きました。
そして、ひとつの成果が生まれます。
一つは、葬祭関連の支援でした。その概要は、すでに東北ヘルプのホームページで長くご連絡してきたとおりです。
もう一つは、「心の相談室(クリックでリンクページが開きます)」です。それは、東北ヘルプが参加して作り上げた、諸宗教が協働する傾聴活動センターです。それは具体的には、ラジオ番組を放送し、電話相談を受け、出張傾聴喫茶を行う主体として、今、活発に活動しています。(詳しくは、「仙台」と「心の相談室」を検索ください。過去のラジオ番組を含め、活動の報告がなされています。)
今、被災地には、「心のケア」あるいは「魂への配慮」が、喫緊の重大課題として存在しています。そして、発災後1年を経ようとする今、その課題はいよいよ大きくなっています。私たちは、この課題に正面から向き合いたいと思います。
その際、大切なのは、「物品」の支援と「心」の支援とを切り離さないことだと思います。
「心を込めた物」をお送りすること。しばしばそれが、「心のケア」の入口になります。
以下に、そのことを思い出させてくれた支援のご報告をいたします。それは、「お正月に、お正月のお弁当を」というプロジェクトでした。
私たちのできることは小さなことですが、しかし、そこに無限大の祈りと願いと希望を込めることは、できるかもしれません。そんなことを望見しながら、以下に、このお正月の報告をさせていただき、その展開の導入といたしたいと思います。
(2012年2月20日 川上直哉 記)
お正月に幕の内弁当を
1月3日、東北ヘルプは、協力関係にある任意団体「若林ヘルプ」様と一緒に、仙台市内「東通仮設住宅」をはじめとする三か所の仮設住宅にお住まいの方々に対して、無料での「お弁当提供サービス」をさせて頂きました。
このサービスは、東北ヘルプ代表の吉田隆師(日本キリスト改革派仙台教会牧師)が企画したものでした。「震災以来なにかとご不自由な日々を送られてる方々に少しでもお役に立てれば」との思いが、そこにこめられました。10月からお弁当支援を継続してきた若林ヘルプの黒須氏と共に企画が練られ、(株)プレナス(ホットモット)様のご協力を得て、実現しました。
用意されたお弁当はお正月らしく豪華で色とりどりの食材があしらわれ、見るからにとても美味しそうな幕の内弁当でした。
お弁当は、単価680円のものが選ばれました。147食を用意しました。「仙台キリスト教連合被災支援ネットワーク(東北ヘルプ)一同」からの、新年のご挨拶を添えました。「東通仮設住宅」と「七郷中央公園仮設住宅」と「JR借上げアパート」にお住いの方々の中で、それぞれに一人暮らしのお年寄りにお贈りしました。この方々の多くは、普段から食事サービスを受けておられる方々です。またいつも自治会活動で尽力して頂いている方や防犯部などで活動して頂いている方などにも、ご労に感謝しつつ、お配りしました。
東通り仮設住宅では、一緒に配り歩いた自治会長の大橋氏は「黒須さんには前々からお世話になっています。こういうことをしてくれてみんな感謝してますよ」と話され、黒須氏は「震災直後の避難所生活から縁が出来、今まで強い絆と信頼関係でお付き合いをしています。大橋さんは私たちの活動がいろいろな人達の支えで成り立っているのをちゃんと解っていらっしゃる方ですよ」と話してくれました。
年末の間お休みしていました通常の「食事支援サービス」(こちらでご紹介しています「東通り仮設住宅・お弁当サービス」の記事です)は、1月5日から通常通り始まりました。このサービスの特色は、東北ヘルプが100円、お弁当業者さんが50円を負担し、残額を利用者が負担する点にあります。こうして、持続的なサービスが展開できるという目論見です。
当初200食足らずであったこの「食事支援サービス」は、現在、月500食まで増えました。今後、最大1000食まで拡大することを目指しています。仙台市の情報誌にも掲載していただく等、様々な広報活動に取り組み、「本当に必要な人」に、バランスのとれたおいしいお弁当をお届けしたいと思っています。
また私たちは、仮設住宅支援の一環として、1月26日に若林文化ホールにて「相田みつを美術館館長・講演会『こころのクスリ』」を無料で開催いたしました。新聞取材もあり、会は大変盛況でした。「これからはまたいろいろ考え、活動していきたいと思っています」と黒須氏は抱負を述べられました。
以上、皆様のご支援とお祈りに感謝して、ご報告いたしました。
(2012年1月16日 戸枝・川上記 2012年2月21日 阿部一部修正)
はじめに
私たち仙台キリスト教連合は、最も小さくされた・声なき人々に、寄り添いたいと願っています。
今回、震災を受けて、最も寄り添うべき人々は、その犠牲者の方々です。
あるいは、お墓が流されてしまっている方も、多くおられます。
私たちは、そうした方々の「声なき声」に、耳を傾けたいと願います。
私たちのそうした思いを受けて、米山にある宮城教会様が、納骨堂の開放を申し出て下さいました。
その尊い御意志を受けて、以下のようなチラシを作成しました。
どうぞ、ご覧いただき、必要とされている方がおられましたら、どうぞ、ご紹介を賜りたく存じます。
何よりも、悼む思いに、平安が訪れることを祈りつつ。
東北ヘルプ事務局 川上直哉
私たち仙台キリスト教連合は、最も小さくされた・声なき人々に、寄り添いたいと願っています。
今回、震災を受けて、最も寄り添うべき人々は、その犠牲者の方々です。
あるいは、お墓が流されてしまっている方も、多くおられます。
私たちは、そうした方々の「声なき声」に、耳を傾けたいと願います。
私たちのそうした思いを受けて、米山にある宮城教会様が、納骨堂の開放を申し出て下さいました。
その尊い御意志を受けて、以下のようなチラシを作成しました。
どうぞ、ご覧いただき、必要とされている方がおられましたら、どうぞ、ご紹介を賜りたく存じます。
何よりも、悼む思いに、平安が訪れることを祈りつつ。
東北ヘルプ事務局 川上直哉





























