生活支援・自立支援

「私塾ネット 出前寺子屋」報告

東北ヘルプは、「支援する人を支援する」団体として、生活支援・自立支援の働きを担いたいと願っています。

支援の方法は、いくつかあります。その典型的な仕方は、

1.事務局長が、支援団体の方にお会いしてその必要をお伺いし、

2.その働きを理解して共にその業を担えることが確認できたら、

3.ホームページにアップできるような報告書を出していただくことを条件に、

お預かりしている募金をお渡し、そして会計報告書を後で頂く、という仕方で、「支援する人を支援する」事業を進めさせて頂いています。そうして、ご一緒に活動をしている団体は、30を数えるほどになりました。これらはすべて、出会いの喜び、神様の賜物です。感謝に堪えません。

今回、新しく、「出前寺子屋」様とご一緒に、支援活動を展開することが許されました。この団体は、「私塾ネット」様の協力体制の中で、石巻にある全国最大級の仮設住宅団地に教室を開催し、漢字検定を目指して共に勉強する、という活動を展開しています。

責任者は、谷村志厚さんです。川上は、谷村さんにお会いしたとき、この漢字検定教室は、就職活動などに関係しますか、と訊きました。すると、谷村さんは、きっぱりと、「違います。これは、被災した方々が、学ぶ喜びを思い出して活き活きと日々を過ごすために行う事業です。人は学ぶことで生きがいを感じるものです。そして、学ぶことは達成感によって励まされ促進されるのです」と、お応えになりました。

更に、谷村さんは今、新しい志を抱いておられます。それは、母校である立教大学の若者を伴って石巻へ行き、東京と被災地とを結びつける一助に、この事業を用いたいという者です。

私たちは、この谷村さんの志に感動し、ご一緒に活動をさせて頂くことをお願いしました。以下に、最初の報告書を公開いたします。私たちを覚えてくださるすべての方々と共に、この石巻の働きを、神様の愛の業の表れと思い、感謝して拝読したいと思います。

(2012年5月14日 川上直哉)

(この画像はスクロールして、全文をご覧いただくことができます。
iphoneなどをご使用されていて、この画像を見ることができない方はこちらからご覧ください)

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「反貧困みやぎネットワーク」と共に

被災地は、一年を過ぎました。

昨年、初めての被災地の春を迎えたときのことを思いだしています。昨年と同じように、重い冬が去り、柔らかな春がやってきました。黒い木々が春の色に溢れています。すべて、昨年と同じように見えます。ただ、瓦礫だけが、片付いている。それだけが、違っています。

一年もの時間が経ちました。確かに、瓦礫は撤去されました。しかし、何も変わっていないようにも思います。他方で、被災地を少し離れると、震災前の様子が再現されているようにも見える。そのギャップは、日を追うごとに、気づかないうちに、大きくなっているように思います。

被災の現場は、各家庭・各個人の中に折り畳まれてしまったように見えます。整然とした仮設住宅が建ちました。信号は点灯しました。瓦礫は、片付きました。

しかしおそらく、本当の困難は、これからです。各地に積み上げられ、片づけようもない程の威容を示している瓦礫は、どうしたらよいのでしょう。各家庭に生まれた将来への不安は、どうやって払拭されるのでしょう。各個人の内面に抱え込まれた深い痛みは、だれが癒すのでしょう。

そんなことを考えながら、一つのイベントに協力しました。「反貧困フェスタ:震災があぶり出した貧困2012~被災地から~」というイベントです。これは、「反貧困みやぎネットワーク」が主催するものです。このネットワークは、ソーシャル・ワーカーの熱意溢れる活動団体です。この役員に、東北ヘルプ事務局長の立場で、川上が参加しています。そのネットワークの、年に一度の大会が、「反貧困フェスタ」となります。4月14日(土)の午後1時半から、仙台市内の弁護士会館にて、開催されました。

今回のフェスタは、昨年に引き続き、元内閣参与の湯浅誠さんがおいでになりました。そして今年は更に、「週刊金曜日」などで活躍されている雨宮処凛さんも、おいでになりました。



東北ヘルプは、4月13日(金)に、雨宮さんを被災現場へとお連れしました。仙台市若林区荒浜の慰霊塔を訪れた後、「若林ヘルプ」のご協力の下、その地域から避難して仮設住宅にお住まいになっている方と、話し合いの時間を持っていただきました。多くのことを学んだと、ありがたいお言葉をかけていただきました。

翌日、会は無事に始まり、終わりました。250名もの方が参加してくださいました。

会は、まず、8人の現場報告がありました。東北ヘルプからは、外国人被災者支援センターを代表して、職員の李さんが発表してくださいました。

外国人被災者の問題を、なぜ、特別に取り上げなければならないか。もしそう問うならば、こう答えたい。被災地における外国人のほとんどが、「外国人妻」として生きている。外国人ではなく、地域にある一つの家庭の妻として、外国から来て、不自由を覚えつつ共に生きている。だから、外国人被災者の問題は、「外人」の問題ではない。そうではなくて、この被災地全体の問題の一つなのだ。

そのように、李さんは話を切り出されました。そして、生活保護を受給しようとする際に起こる「古典的」で「典型的」な困難の報告をしました。それは、湯浅さんたちがずっと取り組んできた問題であり、その解決は全国に展開してきたはずの問題でした。しかし、それが被災地で起こっている。その現実は、会場を粛然とさせたように思います。



更に、私たちと共に被災地で活動してくださっている「ライフサポート響」の阿部さんが、仮設住宅の状況について、報告してくださいました。この冬は、本当に厳しい寒さが東北を覆いました。対して、仮設住宅の防寒設備は、十分なものではありませんでした。行政の方は本当に努力してくださり、断熱材を入れるなどの措置をしてくださいました。しかし、今度はその断熱材が災いをし始める。内外の温度差が激しく、鉄板でできている仮設住宅の壁と天井には激しい結露が生ずる。その結露は、断熱材にカビを生えさせる。押し入れの布団も、油断すればすぐに湿ってしまい、カビの温床になる。そして、健康被害が生じている。

どこまでも、被災地の現実は重く暗いものです。その現実を報告によって共有した後、休憩を挟み、いよいよ、雨宮さんと湯浅さんの対談となりました。

お二人の対談は、呼吸もぴたりと合い、軽妙で洒脱なものとなりました。話題はやはり、現実の問題と政治の動向に及びます。多くの人々が期待し、ある種の能力を持った方々がそれに応えているような、「一発でスパッと解決する」類の事柄を、私たちは警戒すべきだ、というのが、対話の到達点にあったように思います。雨宮さんは、繰り返してこう言いました。「確かなことを、ひとつひとつ、やることです。」

このフェスタの後、湯浅さんを交えて、役員の方々の打ち上げが行われました。そこでは、「ライフサポート響」の阿部さんと、新しい支援の打ち合わせもできました。私たちは、巨大な現実に立ち向かう小さな点です。しかし、私たちは互いに尊敬しあい、小さな一歩を重ねたいと思います。そうした励ましを与えられた、「反貧困フェスタ」でした。

以上、ご報告いたしました。

(2012年4月29日 川上直哉 記)

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仙台市内仮設住宅でのお茶会報告

東北ヘルプとYWCAは震災直後から、強い信頼関係の中で、協同して復興支援に携わってきました。

東北ヘルプ事務局は、当初、仙台YWCAの事務所の一角をお借りして始まりました。その後、事務所が現在の仙台市青葉区錦町のエマオに移ってからも、東北ヘルプとYWCAは多くのプロジェクトを共に企画し、実行してきたのでした。

昨年、まだ事務職員の方を雇用することができず、東北ヘルプの運営が危機に陥った時期がありました。そのときに救いの手を差し伸べてくださったのもYWCAでした。事務員が雇用されるまでの間、YWCAの皆さまが全国から、片時も途切れることなく、ボランティアとして仙台に来てくださり、わたしたちを支えてくださったのでした。

お一人お一人の素晴らしいお人柄と能力、東北ヘルプを支えるのだ、という力強く暖かい助けに東北ヘルプは危機を救われたのでした。

今日紹介させていただきます報告書をお送りくださったのも、そのボランティアとしてこちらに来てくださった大阪YWCAの平井さん、砂子さん、そして津戸さんです。

震災から1年が経過し、その間に少しずつ状況は変わってきました。その中でわたしたちの活動は、改めて継続性が問われています。

そうした中で、被災された方へ継続的に関わることを、このように続けてくださっていること、そして震災直後に生まれたわたしたちとの繋がりを、今も大切にしてくださっているYWCAの皆さまに心から感謝いたししつつ、ご報告を紹介させていただきます。

(2012年4月16日 阿部・記)

仙台市内仮設住宅でのお茶会報告

2012年2月24日(日)

東北ヘルプから日本YWCAへ発信されたボランティア派遣依頼に応える形で、昨年6月~8月、各地域YWCAの職員・会員が交代で3日~1週間ずつ事務仕事サポートをしたのが東北ヘルプとの関わりの始まりである。

9月以降は体制が整い専従スタッフも充実、遠方からのボランティアは必要がなくなったが、私たち大阪YWCAは、離れた地である大阪から継続して被災支援に関わる方法を探す中、若林ヘルプに相談、会員が女性中心のYWCAを受け入れてもらいやすいと思われる、自治会長や役員が女性である仮設住宅を紹介していただく形で仮設住宅でのお茶会を始めた。

一度目は2月24日(金)、大阪YWCA会員手作りのケーキと紅茶を持ち込んで、午前中にJR南小泉アパート仮設住宅、午後には七郷公園仮設住宅を訪問した。


  • 七郷公園仮設住宅にて

  • 仙台駅で購入した人気のチーズケーキ

その時に聞いた話では「津波に追いかけられたときのことや、この先の生活のメドがまったくたっていないなど、現実の厳しさを感じた」と報告がなされた。(2月の報告・大阪YWCA 平井、砂子)

2012年4月1日(日)

今回4月1日(日)は2度目。大阪YWCAから会員4名、若林ヘルプから1名で、午前と午後に分け2カ所の仮設住宅街を午前中は卸町五丁目公園仮設住宅へ。


卸町五丁目公園仮設住宅にて

日曜日の午前中のためか出足はゆっくりだったが男性1名を含む10数名の方が来てくださった。

順番に自己紹介、ケーキを食べ紅茶を飲みながら談笑、わざわざご自宅に取りに戻ってくださった手作りのお漬物と長ネギのぬたもお茶うけに加わり、2時間は瞬く間に過ぎ、次回は大阪名物のたこ焼きとお好み焼きをという声もいただいた。

午後は七郷公園仮設住宅、女性10名弱の参加を得た。仙台駄菓子やおせんべいなどのお菓子、果物、手作りのお漬物などもご用意くださっており豊かで賑やかなお茶会となった。みなさんすでに仲良しという印象で終始笑い声の絶えない会だった。


会話やサービスをする大阪YWCA会員

新幹線を乗り継いでも6時間ほどの距離、遠く大阪からできることは決して多くはないが、東日本大震災で被災された方々に長く寄り添い続けて行きたいという想いを強くした今回の旅であった。

(報告者: 大阪YWCA会員 津戸 真弓)

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借り上げ民間賃貸仮設住宅と内職支援

東北ヘルプは、現在、二つの実働機関を持って動いています。

一つは、「東北ヘルプ事務局」です。正式名称は「一般財団法人 東北ディアコニア」です。この法人が、情報を整理し、新しプロジェクトを企画して実行する役目を担います。

もう一つは、「若林ヘルプ」です。任意団体で、正式名称を「自立支援ネットワーク」といいます。「東北ヘルプ」理事の黒須さんが、代表を務めています。

「東北ヘルプ事務局」は、人間の体に例えて言えば、「内臓」に当たります。情報を統合し、資金を正しく循環させ、問題を一つ一つ解決する。それはつまり、人間の「脳」や「心臓」や「肝臓」の役割を担うようなものです。

そして、「若林ヘルプ」は、ちょうど、人間の外観に似ています。「皮膚」や「手足」や「顔」のように、直接現場に触れ、現場に働きかけ、現場から情報を獲得します。それは第一級の情報に触れる最前線となります。

「若林ヘルプ」は、先月ひと月をかけて、新しいプロジェクトを企画し実行しました。その報告書を以下にご案内します。

このプロジェクトが私たちに示している状況は、深刻で重要なものです。それは、二つの現場に触れるものです。

一つは、仮設住宅です。そこには、住居と職業と故郷を失った人々が多く住まわれています。人間の尊厳は、「休むこと」と「働くこと」と「愛すること」によって維持されるものです。仮設住宅の方々は、その尊厳の源を脅かされています。

そこで、仮設住宅の方々のために、小さな「内職」を創り出して、働くことができるきっかけになればと願って、「若林ヘルプ」は「内職プロジェクト」を始めました。これは、単体完結のプロジェクトではなく、様々な支援プロジェクトに繋がるものです。さまざまな支援プロジェクトが行われる際、単純作業があれば、それを仮設居住の方々のアルバイトとして組み上げ、「働くこと」の可能性を探ろうというものです。

これは、仮設居住の方のための工夫です。

地震津波で自宅を失った方々の大部分の方が、仮設にお住まいではありません。実は、自宅を失った方々の大部分は、アパートやマンションにお住まいになっています。とりわけ、仙台市は従前より「空き家」「空き室」の多い町として有名でした。そこで、行政が家賃を負担して、被災者がアパートにお住まいになるというシステムが活用されています。これを「借り上げ仮設」とか「民間賃貸仮設」等と呼びます。

仙台市の場合、約2割の方が、仮設住宅に入られました。つまり、8割の方が、「借り上げ仮設」に入られています。今は個人情報の規制が厳しく、「借り上げ仮設」に入られた方についての情報は、行政の他、持っていません。結果、NGOの支援は、8割の人に届かなくなっています。

そうした人々へのアプローチもまた、「若林ヘルプ」の重要な活動になります。その可能性を模索する一端が、「内職」の創出の工夫と共に、以下の報告書に読み取られるものと思われます。

皆様のご支援によってこうした報告ができることを感謝しつつ、以下にご案内する次第です。

(2012年4月5日 川上直哉 記)

プレミアム大工道具セット配布プロジェクト 報告書


若林ヘルプでは、2月の中旬から「プレミアム大工道具セット」配布プロジェクトという事業に取り組んでおりました。これは、ペンチやニッパーといった、日曜大工で使えるような小道具をセットにして、被災者された方々にお送りするというプロジェクトでした。

今回大工道具を寄贈してくださったのは、仙台泉福音自由教会の牧師先生でいらっしゃる森ラリーさんです。

ラリーさんの宣教師仲間でアメリカの教会で働かれている方々が、「ぜひ、震災復興支援のために何かしたい」と集めたお金で大工道具を購入し、ラリーさんにお送りくださったのでした。私が初めてこの大工道具の山を見たときには、世界から日本へ向けられた温かいエールを目の当たりにした心地でした。


  • 森ラリーさんと大工道具

  • 仮設住宅の自治会長さんと

寄贈していただいた道具類は、ペンチなどの小道具類から、一輪車やシャベルなどの大道具までが含まれておりました。

まず、大道具をはじめとした一通りの道具を、若林区内の仮設住宅の自治会を中心にお配りしました。それでもまだかなりの数の小道具が残っていたので、これをまとめてセットにしたものを被災された方々の各家庭に宅配してはどうかという話になりました。

せっかく宅配するのならば、仮設住宅の方々だけでなく普段支援の行き届かない民間借り上げ仮設住宅の方々にも贈ろうということで、この家庭用大工道具セットの情報は、若林区の広報紙である復興かわら版『みらいん』を通じて、若林区内の5000戸弱の被災された方々に届けられました。用意できた数は37セットだった為、全壊の方を優先し、先着順にお配りする事とし応募をいたしました。

ところが、この大工道具セットへの応募の総数は600通にものぼり、若林ヘルプのFAXは一時パンク状態に陥りました。これまでの物資支援とは異なり、書面を準備しFAXで送るという行為は手間を要するもので、被災された方々が大工道具を本当に必要とされていることがはっきりとわかりました。また、仮設に暮らす方と違い支援が届きにくい民間借り上げ仮設住宅にお住まいの方々が、まだ支援を必要としていることの表れだったかもしれません。


配布を待つ大工道具セット

先着の37名には、予定通り準備してあった大工道具セットを配達することに決定しましたが、残りの500人以上の人々にも、なんとか大工道具をお届けできないものかと、スタッフの誰もが願いました。

送られてくるFAXにはメッセージが添えられているものもあったのですが、その中には

「この支援情報を見て、ようやく自分で何かしてみる気力が起きた」

「津波で家財は何から何まですべて流された。この大工道具を心の支えとしたい」

「全壊になった家を修理しながら生活している」

といったものでした。被災者の生の思いがつづられている多くの言葉に、私たちの心は動かされました。

この状況について各方面へ相談したところ、国際飢餓対策機構様より御寄付いただけることになり、新たに400部の大工道具セットを用意できることになりました。この追加分の大工道具は数量の関係で中国に発注したのですが、先日ようやく到着し各家庭への郵送のための準備を進めているところです。また、追加分でもカバーしきれない約200戸の家庭に対しては、ボランティア団体マイトレーヤ様より御寄付をいただき、ドライバーセットをお送りすることに決まりました。こちらに関しても郵送の準備を進めているところです。

さて、最初用意してあった37セットの家庭用大工道具セットですが、こちらは宅配業者ではなく、若林区の仮設にお住まいの方に配布をお願いすることになりました。これは、仮設住宅にお住いの方々への小さな「内職」となればと願ってのことです。

仕事を引き受けてくださった仮設の方のお一人は、「セットを受け取った人たちの笑顔を見て、支援する側の気持ちが少しわかったような気がする」と言ってくださっており、支援される側とする側の相互理解にも役立ったようです。いずれにせよ、こうした単発なものであっても、できるだけ被災された方々へお仕事を回していきたいと私たちは考えております。37セットの大工道具は、3月20日までに全て、それぞれの家庭に配布されました。

「物資支援はもうおわりだ」

震災から一年がたち、私はそのような声を何人もの方々からお聞きし、またあるいは、自分自身でも、そのように考えることもありました。

ですが、今回のプロジェクトへの反響は、物資支援への需要がまだまだあることを強く物語っていました。

去年の3月11日から一年が過ぎ、気持ちの整理もようやくつき、自分でも何か始めてみようと考えた人たちも多かったようです。その意味では心の支援に近い物資支援であったのかもしれません。FAXにつづられたメッセージから、仮設外の被災者への物資支援がほとんど行き届いていない状況も、改めて明らかになりました。

このような物資支援を行ったのは初めてでしたが、今後もこういった物資支援の申し出があった場合には、ぜひまた『みらいん』を通じて発信していけたらと思います。今回配布された大工道具セットが、少しでも被災された方々の心の支えになることを願ってやみません。


大工道具配布の様子

(若林ヘルプ・加藤)

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「古文書レスキュー」報告書

東北ヘルプは、「支援する方を支援する」活動を続けています。

被災地は広く、そして被災内容はバリエーションに富んでいます。

その支援活動は多岐にわたり、無数に存在します。

そうした中で、支援の志の高さにも関わらず、経済的その他の理由から、続行困難となる活動がたくさんあります。

私たちは、そうした団体をお支えしたいと願っています。そしてもし許されるならば、その活動を協働する参画者とならせていただければと願っています。そして更に、被災地の様々な深く小さな情報を集め、学び、そして新しい支援の企画を立て、新しいプロジェクトへと繋げたいと願っているのです。

そうした思いを込めて、また再び、よい活動のご報告を頂きましたので、以下に御紹介したいと思います。

(2012年3月30日 川上直哉 記)

2012年3月 津波被災資料保全活動報告

2012年3月30日

NPO法人宮城歴史資料保全ネットワーク

東日本大震災にともなう津波被害で被災した歴史資料を保全するため、NPO法人宮城資料保全ネットワークでは、下記の通り被災資料のクリーニング作業を実施し、歴史資料を後世に遺すための活動をおこなっている。

3月の活動は、2家の個人所蔵資料に加え、石巻市内小学校資料の計3件について作業を実施した。震災から一年を経過した現在でも、沿岸部より津波被災資料の救済依頼が届けられている。これらについては、カビや水濡れの影響により劣化が激しく進行しているため、早急な処置が必要になる。

なお、本活動は、事務局の指導のもと、各地から申し出をいただいたボランティアとともに実施している。

1、石巻市住吉町個人所有資料のクリーニング作業

前月同様、資料の被害状況に応じた分別作業をおこない、それぞれの資料についてのドライクリーニング作業を実施した。作業は翌月以降も継続的に実施する予定だが、3月下旬に緊急を要する被災資料が大量に搬入されたことにより、現時点で作業を停止している。

今後、他資料の緊急性が低下した段階で、あらためて作業を再開していく。

2、石巻市内学校資料のクリーニング作業

2011年8月より、継続的に実施していた石巻市立小中学校資料の処置について、3月14日一通りの処置が完了した。

洗浄作業ができなかった資料もあったため、すべての資料に同じ措置が施せた訳ではないが、すべてについて危機的状況を脱することができた。また、和本類など紐の綴じ直し作業も実施し、多くの資料について今後の利活用に耐えうる状態にまで復旧させることができた。

なお、これらの資料については、3月23日に同市教育委員会に返却し、作業完了の旨を報告した。


和本の綴じ直し作業(3月12日)

3、山元町坂元周辺学校資料のクリーニング作業

3月21日、本法人理事より津波被災学校の資料について情報が寄せられ、処置の依頼を受けた。対象資料は同校校歌1点であり、今後は震災記憶のシンボルとして後世に伝えていく予定であるという。

処置は両面に付着した泥や海水を除去するために洗浄作業を実施し、乾燥後紙背に添付された両面テープの除去作業を実施している。テープ除去作業は4月以降も継続的に実施する予定である。

4、石巻市北上町周辺学校資料のクリーニング作業

3月23日、処置を完了した資料の返却した際、石巻市北上町周辺の学校に被災資料が確認されたとの情報が寄せられ、同校職員立ち会いのもと、搬出作業を実施した。

被災から1年以上経過していたが、壊滅的な劣化・破損は確認されなかった。危機的状況ではあるものの、今後の処置によって健全な状態に復旧可能と判断市、段ボール37箱分の被災資料を仙台の事務局に輸送した。翌月以降、これらの資料について段階的に処置を施していく予定である。

5、石巻市雄勝町個人所有資料のクリーニング作業

3月23日、石巻市から被災資料確認の情報が寄せられ、同市職員が搬出した資料の受け取りをおこなった。津波被害を受けたのち、しばらく放置されていたため、下段部分で腐敗が進行するなど、著しい資料の劣化・破損が確認された。これらについては、ナンバリングしたのち一次的に冷凍処置を施し、学校資料の処置が完了した後に作業を実施する予定である。


  • 両面テープの除去作業(3月23日)

  • 石巻市で確認された被災資料(3月23日)

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2月27日 岩手 ハートニットプロジェクト訪問


ハートニットプロジェクト

2月27日に井形、三枝、阿部の三理事で、「ハートニットプロジェクト」(http://sportsdesk-skiclub.dreamlog.jp/)の事務所に訪問させていただきました。

ハートニットさんは、「3.11いわて教会ネットワーク(いわてネット)」様と提携し、活動されています。東北ヘルプは、「いわてネット」様への支援を通じて、ハートニットプロジェクトの活動を支援させて頂くことになりました。そこで、今回、私たちがご挨拶を兼ねてご訪問させていただいたのでした。

既に昨年10月末、一度三枝理事が伺わせていただいており、今回は、「東北ヘルプ」としては二度目の訪問となりました。

ハートニットプロジェクトは岩手でスキースクールをされている、松ノ木さんが中心となって震災直後から活動を始められました。

震災によって、被災者は大きな痛手を負っている。その心の隙間を埋めることはできないか。松ノ木さんは、ずっと、そのことを考えてこられました。しかし、震災直後は、楽しいことや働くことへの自粛ムードが強い時期でもあり、思案が続きました。そして、結論に達しました。何もしないことは傷ついた心にかえって悪い影響を与える。仕事をする中で心を安らげていくことが大切である。誰かがそのように立ち上がらなければ、誰も立ち上がることができない。

そう結論付けますと、どんどん考えが展開しました。手を動かすことができる仕事が良い。針やはさみを使わない作業がよい。それなら、毛糸の編み物をするのが良いのではないか!

そうして、プロジェクトが企画されます。まず、避難所に毛糸のキットを届けるところから始まります。そして、編み方を教え、作品を作ってもらう。その作品を販売し、売上金を編んだ方々に全額お渡しする。これが、「ハートニット・プロジェクト」となります。

松ノ木さんは、お仕事仲間(スキー関係のネットワーク)に、このプロジェクトへの協力を呼びかけました。すぐに応答がありました。そして、全国から毛糸が届けられたのです。そうして2011年4月から、プロジェクトが動き出しました。


後ろには全国から届いたたくさんの毛糸

活動を始める時のことで、忘れられないことがあると、松ノ木さんはお話しくださいました。

初めて避難所に毛糸のキットを届け、作品の製作を依頼した時のことです。しばらく経ってから、その避難所に作品を受け取りに行かれました。その時、編み物をされていた避難者の方々の表情が、本当に楽しそうであったこと、そして、そこにはたくさんの毛糸のたわしができていたこと。その時の印象が、松ノ木さんの心に強く残りました。その時、松ノ木さんは、このプロジェクトの可能性を強く感じたのだそうです。そして松ノ木さんは、このプロジェクトをなんとか継続させたいと思うようになります。

現在、ハートニット・プロジェクトは、

1、全国の援助者から送っていただいた毛糸を、

2、色やデザインなどに合わせて仕分けし、

3、被災地の「アミマーさん」(避難所・仮設住宅在住の編み手の方々)にお届けします。

4、「アミマーさん」が編み物を作り、

5、編みあがった作品を、松ノ木さんたちが販売し、

6、売上金は編まれた方に全額、お渡しして、終了。

という流れで、展開するようになりました。

現在、岩手県大槌町を中心に、100名の「アミマーさん」が参加してくださり、これまで総額で約450万円の売り上げをお渡ししてきました。避難所で始まったプロジェクトは、現在も、仮設住宅に場所を移して活動が続いています。

震災から1年が経とうとしています。プロジェクトの継続の中で生まれた嬉しい出来事がもありました。それは、アミマーさんたちの技術の向上です。1年間編み物を続けた今、本当に良い作品が出来上がるようになった。「被災地の商品」というだけの価値ではなく、どこであっても自信を持って出品できるものになった。アミマーさんたちも、やりがいを感じ、積極的に参加してくださっている。

「沿岸部の方々が一歩を踏み出してくださったことで、プロジェクトが動き始めた。なんとか将来に繋がって欲しい。」

嬉しそうに、しかし真剣な表情で松ノ木さんはお話ししてくださいました。


  • お話しくださる松ノ木さん(右手前)

  • 作成されたネックウォーマー

ハートニットプロジェクトは当初から、支援の長期化を視野に入れて活動されてきました。始めのころは人員の不足もあり、日々の対応に手一杯であったが、これからはしっかりとした体制作り、協力してくださる団体との繋がりの強化が課題だとおっしゃいます。

実際、多くの方が活動を支援し、協力してくださっています。作品の製作とデザインには、4月から編み物教室の講師の方が継続的に指導と監督をしてくださり、素敵な作品の数々が生み出されています。

毎年6月に岩手県では、「いわて銀河100kmチャレンジマラソン(http://www.news2u.net/releases/86362)」という大会が開かれます。2011年の大会では駅伝部門のたすきに、ハートニット製作のたすきを使用してくださったそうです。

またスキー・モーグルの上村愛子選手が、スキー関係のつながりでハートニットを知って、今年の競技ウェアに使用してくださっています。(詳しくは「ハートニット 上村愛子 ブログ」で検索してご覧下さい)

現在は、スキー場や、東京、横浜、大阪のデパートなどで販売をされています。今後も販売網を広げていきたい。被災地の商品というのではなく、自信を持って販売をしたいと、松ノ木さんはおっしゃいます。

実際、作品を手にとってみると、すばらしい仕上がりのものばかりでした。現在は、冬のアイテムの製作が一息ついたところだということです。これから夏用の作品、日焼けよけの腕袋やオフィス用の冷房対策になるような毛糸作品の製作を予定されています。

今回、事務所に伺わせていただき、将来を見据えた活動の先見性と展開に、目が開かれる思いでした。現在、被災地では活動の継続性が問われています。復興の働きは10年、20年と長い時間がかかることだからです。

しっかりとした将来像を持ち、組織を作っていく。それは堅実な活動を土台にし、一つ一つ丁寧に仕事をし、協力者を尊重し、長い時間をかけて、関係を大切にする中でようやく見えてくるものです。ハートニットプロジェクトの働きは、そんな活動のすばらしいモデルケースです。

あたたかい、来られた方を心休ませる、事務所の皆さまの笑顔も印象的でした。こんな人たちが力を合わせる活動なら、きっと良いものになるのだろうと安心させてくれるスタッフの皆さまでした。

これからもこのすばらしい活動に協力させていただけることを感謝しつつ、報告とさせていただきます。


  • マスコットの『ニット子ちゃん』

  • 作品を持ってみんなでニッコリ

(2012年3月23日 阿部・川上 記)

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支援する者/される者

東北ヘルプは、NGO「若林ヘルプ」を設立し、仮設住宅への支援を展開しています。

そこには、多くのボランティアが集います。「若林ヘルプ」は、「支援する者」の集団です。

しかし、「支援する者」は、支援によって、人生に必要な何かを学びます。それは、「支援する者」の人生を支え援助する貴重な経験となります。

実は、「支援する/される」という関係は、固定的なものではありません。それは、常に揺らぎ、入れ替わるのです。そうでなければ、「支援される者」は、その支援によって、その尊厳を深く激しく傷つけられることでしょう。

「支援する者」は、気が付くと、「支援すること」によって、養い育てられている。そのことを確認できるようにと、理事の黒須さんが、一つの企画を立ててくださいました。その報告を、以下に公開します。この報告書は、大学院生の加藤さんが書いてくださったものです。若々しい、少し緊張した、よい報告書です。どうぞ、ご覧くださればと願います。

(2012年3月7日 川上直哉 記)

2月12日若林ヘルプ懇親会報告書

文責:加藤史也

日時:2月12日(日)14:30-21:00

場所:河原町 旧仙南堂薬店

参加人数:22名(うち学生11名)

大震災からおよそ一年がたつ。この間私たちはそれぞれさまざまな形で災害支援の活動にかかわり、いつしか若林ヘルプというつながりで結ばれていた。ここに集まったメンバーは、皆それぞれに理想を持ち、それを実践せんとする志を持った、得難い仲間である。今回の懇親会をもって、せっかく出会えたメンバー同士がもっと互いのことを知り合う機会とし、一層協力し合って今後の活動を行っていきたい、というのが、今回の会のコンセプトである。

会は、「講演」「ブレイク」「学生スピーチ」「歓談」の順番で進められた。以下に、その様子を報告する。

☆講演(14:30-16:30)

今回は、仙台市議会議員の菊地崇良(たかよし)さん、山梨県永照寺の御住職である吉田永正(えいしょう)さんをお招きして、会の初めに、それぞれの視点からの震災復興活動に関する御講演をいただいた。

菊地さんは、『日本の今後の危機管理体制』というタイトルで、行政や民間の人々を含めた横のつながりが、強力な危機管理体制を築くものになることを、ご自身のこれまでの経歴や、今回の体験を踏まえながら、強調された。

『今回ある程度の力を発揮した行政における演繹的な危機管理体制であるが、末端の部分では、その縦割り式の役割分担がうまくはたらいていないことが多々あった。

それを今回上手く補ったのが、もともと東北地方に根付いていた地元民の共助の姿勢と、全国から集まってきたボランティアの力といった、民間人による帰納的な危機管理体制である。共助の伝統がない日本の他地域で同様の震災が起こった場合、今回は起こらずに済んだような、不幸な出来事がいくつも起こることだろう。

そこで、今後の行政の危機管理に対する姿勢としては、行政は、細かいところまで行き届く民間の力をあらかじめ考慮に入れておいて、日頃から彼らと連絡を取り合っておくようにするべきである。上からの命令を待たない横のつながりが、刻々と変化する状況に応じた迅速な支援と、それぞれの領分から来る多様な支援とを生み出すことができるはずである。』

以上のようなお話をされた上で、菊地さんは学生たちに、「今回みなさんがボランティア活動に関わった経験は、次回の震災時に大きな力となって現れる。活動内容を忘れないためにも、是非文章として残してほしい」と訴えた。

東日本大震災から一年がたつが、いつの間にか、あれはもう終わったこと、あんなことはもう起こらないだろうと安心してしまっている自分がいた。復興のお手伝いをするのもいいが、それを一方的な支援としてとらえるのではなく、いつ自分が被災者になってもおかしくないということを念頭に入れ、しっかり勉強させていただく姿勢も必要だと感じた。

今回若林ヘルプで培われた横のつながりは、将来の非常時にも力を発揮することだろう。


防災と危機管理体制の構築について講演してくださる菊地氏

吉田さんは、『育てる教育学』というタイトルで、学習サポートをしている学生たちに対して、子供たちの生活する力を伸ばすための教育の必要性とその実践の仕方を、教育の歴史や、ご自身のこれまでのボランティア活動の観点から、解説された。

『「学ぶ」は「まねる」を語源に持っている。教育とは元来、人が集団生活を送るための知恵を代々受け継いでいく行為であり、現在のような学校教育がおこなわれ始めたのは、戦後間もない1960年代のことである。しかし日本はこの新しい教育理念をアメリカから輸入するに当たり、縦割り式の、偏差値重視のシステムを採用した。その結果、生徒や学生は、一つの問に対して、正しい一つの答えを出すことにのみ注意を払うようになり、自分の考えをしっかりと述べられる人は少なくなってしまった。

これが日本の学校教育のひずみである。教育の現場においては、学校教育で得られる知識だけではなく、自分自身で生活していく力を養うための、社会教育といったようなものも行っていかなければならない。そのためには、子供たちを色々な活動に参加させ、小集団でそれらをこなしていく過程で、人と人とが協力し合うことの大切さを学ばせるような機会を設ける必要がある。』

以上のようなお話を、吉田さんから伺った。


吉田師「『学び』とは『まねび』である」

子供たちのための教育支援が、勉強を教えるだけで終わってしまってもいいのか、という疑問は、学生の誰の内にもあった。もちろん皆それだけでいいとは思っていなかったが、ではそれ以外の教育をどこまで行えばいいものか、そしてそれをどのように行えばいいものか、判断がつかないでいた。

そこで、学生から吉田さんへの質問として、最近学生の間で議論されている問題、これまできちんとできていなかった子供たちの挨拶の習慣を、しつける必要はあるか、またしつけるとすれば、どのようにしつけていけばいいか、というものが出た。

吉田さんのお答は、「挨拶はお互いが気持ちよく生活するための第一歩であるので、これを学習会で教えられるならそうする方がよい。そのためには、まず形式を守らせてあいさつを徐々に習慣づけさせるのもいいが、こちらがまず気持ちよく子供たちにあいさつをすることから始めるのがよい。その場合、子供たちは挨拶の大切さがわかるようになるだろうし、そうなると子供たちから自然と挨拶するようになる。」というものであった。

やはり「学ぶ」は「まねる」からきているのだということを改めて教えていただき、これからの学習会に臨む自分の姿勢を、しっかり見なおさなければならないと感じた。

☆アイスブレイキング(16:30-18:00)

お二人の御講演の後は、懇親会に集まった人同士で仲良くなるための時間がとられた。

初めに、参加者の一人で、尺八の先生をしておられる大橋俊庸さんが、尺八演奏を披露してくださった。みな普段は聞くことのない尺八の音に注意深く耳を傾け、演奏が終わった後には大きな拍手が起こった。素人でも十分感じられるほどの、すばらしい演奏であった。

次に、吉田さんが持ってきてくださったハンドベル演奏を楽しんだ。「人が一人では何もできない、だが協力し合うことで大きなことができる」という吉田さんのあいさつの後、一人に一つの音のベルが渡され、一つの曲を、皆で協力して演奏しあげた。初めは不思議そうな顔をしていた参加者の顔が、曲が進むにつれ、笑顔に変わっていった。ベルは誰でも簡単にならすことができるものであり、年代を超えて親しみ合うためには最適なのではないかと思った。


ハンドベル演奏

最後に、参加者全員で楽しむゲームとして、「名前当て鬼」というものを行った。鬼に当てられた人は、指定された人のフルネームを言わなければならず、それができない場合にはその人が鬼になる、といったゲームである。会に参加した人の名前を積極的に覚えるいい機会になった。

☆学生スピーチタイム(18:00-20:00)

会には、宮城教育大学、東北福祉大学、白百合女子大学、東北大学の学生たちが、計11名参加していたのだが、彼らは一人ひとりがそれぞれ何らかのスピーチをすることになっていた。テーマは完全にフリーであったが、自分の考えや、普段から感じている疑問などを、10分弱で率直に語ることが条件であった。学生が会のために用意していた豚汁などの夕飯を食べながら、計11名が、一人ひとり前に出て、スピーチを行った。

やはり多くの学生が、震災で感じたことや、その後の自分の変化について話をしたが、中には自分の趣味や、将来の夢について語る学生もいた。

普段よく顔を合わせている人のスピーチでは、これまで知らなかった一面に気付かされることがあり、また、その場で初めて会った人のスピーチでは、その人から受けた第一印象が大きく変わるといったことがあった。

共通して言えることは、どのスピーチも自分の正直なところから語られたものであったため、いずれも非常に聴きごたえがあったことである。このような機会はめったにないため、初めの方はどの学生も緊張していたが、徐々にスピーチ会が進みにつれ、皆リラックスして、積極的に話すことができるようになってきた。中には話している途中からどんどん熱が入って、涙ながらに話す人までおり、とても内容の濃い時間を過ごすことができた。

これまでは、普段一緒にボランティアをする仲間でも、なかなかしみじみとお互いの所感を述べあうような機会はほとんどなかったが、今回こうして考えを発表し合うことで、よりお互いの理解を深めることができた。若林ヘルプを通してせっかく出会えた大切な仲間であるので、色々とお互いに学び合える関係になれればと思う。そのために、今回の会のような機会が必要だと感じた。

☆歓談(20:00-21:00)

最後の一時間は、せっかく理解を深めた参加者同士が自由に話し合う時間とした。会が始まった時には自分の仲間内で固まっていた人も多かったが、この時間には、初対面の人とも積極的に話している人が多く見られた。ここでさらに、お互いに関係を深めることができたのではないかと思う。

(以上)

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古文書レスキュー ~2012年2月 津波被災資料保全活動報告

東北ヘルプは、皆様からのご支援を基に、「NPO法人宮城歴史資料保全ネットワーク」様と共に、「古文書レスキュー」のプロジェクトを実行しています。皆様のお祈りとご支援に心から感謝して、プロジェクトの2月報告を、以下に公開します。

(2012年3月6日)

2012年2月 津波被災資料保全活動報告

2012年2月29日

NPO法人宮城歴史資料保全ネットワーク

東日本大震災にともなう津波被害で被災した歴史資料を保全するため、NPO法人宮城資料保全ネットワークでは、下記の通り被災資料のクリーニング作業を実施し、歴史資料を後世に遺すための活動をおこなっている。

2月の活動は、3家の個人所蔵資料に加え、石巻市内小学校資料の計4件について作業を実施した。沿岸部で津波被害を受けた歴史資料が多数確認される一方、内陸部でも地震に伴う家屋の倒壊により消滅する危険性のある歴史資料が膨大に存在する。これらの資料は、長年土蔵などに収蔵されたままの状態であったことから、経年劣化に加え、埃や虫損などによる劣化の危険性をはらんでいる。本法人では、津波被災資料のクリーニングと平行して、救済資料のドライクリーニング作業を実施する。

なお、本活動は、事務局の指導のもと、各地から申し出をいただいたボランティアとともに実施している。

1 石巻市住吉町個人所有資料のクリーニング作業

前月に引き続き、同家のクリーニング作業を実施した。

まず、所蔵資料の全容とその被害状況を把握するため、すべての資料についてカビ抑制のためのエタノール噴霧と泥落とし(ドライクリーニング)を実施した。

被災から約10ヶ月経過していたこともあり、資料の多くが開披困難ないし不可能な状態であった。そのため、処置が可能な資料と困難な資料とに分類した後、可能な分について優先的に処置を施す方針とした。分類については、ドライクリーニング作業の過程で、処置の可能性を確認した。

これらの作業は、翌月も継続して実施する予定である。


津波によって汚れた資料。
清掃されないまま、まだたくさん残されています。

2 東松島市矢本個人所有資料のクリーニング作業

1月20日、東松島市教育委員会から、同家所蔵資料の処置について問い合わせをうけた。それにより、同26日、同市教育委員会と共同で救出作業を実施し、段ボールで15箱の所蔵資料を搬出した。

救出された資料は津波被害を受けなかったものの、経年に伴う若干の劣化と汚損が確認された。そのため、2月3日よりドライクリーニング作業を実施し、2月15日に完了した。

今後、中性紙封筒への納入作業と整理番号を付与する整理作業を実施し、デジタルカメラによる記録化作業をおこなう予定である。

3 栗原市瀬峰町個人所有資料のクリーニング作業

1月21日、栗原市教育部文化財保護課からの依頼をうけ、同家の資料救済事業を実施した。内陸部であるため津波被害はなかったが、地震により土蔵が被害をうけ、所蔵資料の破損・消滅が危惧された。そのため、同市文化財保護課と共同で救済事業を実施し、所蔵資料を搬出した。

資料に経年に伴う汚損が確認されたため、2月17日よりドライクリーニング作業を開始した。

その後、下記の小学校資料の搬入に伴い、作業を一時中断しているが、同家の資料については、翌月以降再開する予定である。

4 石巻市内学校資料のクリーニング作業

2011年7月、石巻市教育委員会関係者より石巻市立小中学校資料の処置について依頼を受けた。8月に段ボールにして約30箱の資料を事務局に搬入し、同月より被害の大きな資料について処置を実施していた。

2月17日、燻蒸を依頼していた仙台市博物館より資料を引き取り、18日よりクリーニング作業を開始した。資料の状態は、津波による水損被害とカビの発生、さらに泥汚れの付着が顕著であり、エタノールによるカビ抑制と泥落としを中心としたドライクリーニング措置を施した。

翌月以降も同様に作業を継続し、3月上旬を目処に同資料のクリーニング作業を完了させる予定である。


  • 2月の作業の様子

  • 修復中の資料

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写真洗浄活動への参加のお願い ~支援をつなげること


被災地で集められた写真

津波によって多くの家屋が被災し、家屋には多くの家具や物品がありました。それらの物品は、どの一つをとっても人々の「生活」が詰まった大切なものです。そんな大切な想い出が流失してしまったり、ヘドロによって壊れて、「ガレキ」や「ゴミ」として処理されていくのは、被災者にとって苦しく、悲しいことです。

特に家族の歴史の記録を残す写真を探すことは、震災の当初から多くの人が望んでいることです。ですが、写真は汚れたままだと、たちまちにカビが生え、修復できなくなってしまいます。カビで傷んでしまう前に、写真を洗浄する活動が求められました。


  • 汚れてしまった写真

  • 見つかったネガも
    傷む前に洗浄します

1月25日に生活支援・自立支援のページ、『「想い出」を救出するために』の記事で「ヒューマン・タイズ」さまの活動をご紹介させていただきました。

ヒューマン・タイズさまは震災直後から、仙台市若林区と宮城野区で見つかった写真洗浄の活動をされています。また洗浄後は、写真の展示会を開催し、所有者が写真を見つけるお手伝いをされています。

洗浄作業はまだまだ必要とされています。そしてこの作業は被災現地ではなくともできるものです。そこでヒューマン・タイズさまは汚れてしまった写真を郵送し、洗浄作業をしていただく、という活動もされています。結果、洗浄作業に携わってくださる団体は東北にとどまらず、全国各地に広がっています。ヒューマン・タイズさまの「タイ:tie」には、「つなぐ」という意味がありますが、その名の通り、被災地と全国を結ぶ尊い働きをされているのです。


  • 作業風景(1)

  • 作業風景(2)
    お年を召された方も
    大勢参加してくださっています。

今回、ヒューマン・タイズさまから、被災地の写真洗浄に協力してくださる団体を募集したいとの依頼をいただきました。

条件は2月24日まで返送必着で、作業が可能である団体です。お送りする写真の枚数(ダンボールの個数)は、ヒューマン・タイズさまとご相談いただき、可能な数をお願いしたいということです。

被災地ではなくともお住まいの地域で、また特別な体力や技能がなくとも、どなたでも可能な支援活動です。どうぞ、それぞれの団体や教会でご検討くださり、支援の輪に加わっていただければと存じます。活動に際しての疑問点などもご遠慮なくお問い合わせください。

以下に連絡先などの事項とこれまで協力してくださった団体を挙げさせていただきます。

どうぞよろしくお願いいたします。

(2012年2月11日 阿部記)

これまでの協力団体さま

1月30日(月)

「福岡被災地前進支援様」宛に写真入りのダンボール5箱を発送させて頂きました。

2月2日(木)

「長崎純心大学 学生支援課様 ボランティアサークル リトル・ツリー様」宛に写真入りのダンボール5箱を発送させて頂きました。

2月7日(火)

鹿児島県「野崎様」宛に写真入りのダンボール2箱を発送させて頂きました。

ご協力を頂ける方は

TEL:022-776-5411

または fukkou-thos☆hu-tie.com (☆を@に変換)まで。

一般社団法人ヒューマン・タイズ 佐々木

○展示準備の為、全て2月24日(金)必着でご返送ください。

「古文書レスキュー」支援報告

私たち「東北ヘルプ」は、支援する人々を支援するために、生まれました。

私たちにできることは限られています。それでも、私たちの世界には無数の善意があふれています。その善意を繋ぎたい。そう思いました。

そして今、「若林ヘルプ」のお弁当支援や、「ヒューマンタイズ」様の写真洗浄支援などに、協働させていただくことができています。多くの皆様のお支えによって、各地・各方面に輝く善意の業に連帯する栄誉にあずかっていますことを、心から感謝しています。

そうした連帯の一つとして、「古文書レスキュー」の働きがあります。最新の活動情報をいただくことができました。以下に、ご紹介いたします。

貴重な、しかし長期的な視野を必要とするお働きです。意義深い、しかし地味なお働きでもあります。そうした事柄に専心される方々への深い敬意を抱きつつ、感謝を持って皆様にご案内いたします。

(2012年2月2日 川上直哉 記)

 

2012年1月 津波被災資料保全活動報告

2012年1月31日

NPO法人宮城歴史資料保全ネットワーク

 東日本大震災にともなう津波被害で被災した歴史資料を保全するため、NPO法人宮城資料保全ネットワークでは、下記の通り被災資料のクリーニング作業を実施し、歴史資料を後世に遺すための活動をおこなっている。  1月の活動は、6家の所蔵資料について、並行的に作業を実施した。なお、本活動は、事務局の指導のもと、各地から申し出をいただいたボランティアとともに実施している。

1 岩手県大船渡市個人所蔵資料のクリーニング作業

本年は、昨年末までの作業で一部未済であった同家資料のクリーニング作業から開始した。 処置方法は、洗浄作業を基本とし、水溶性のインク書き資料については洗浄を避け、泥汚れの除去を中心としたドライクリーニング作業を施した。 同家の作業は1月11日に資料の整理作業までが完了した。

 

2 石巻市湊個人所蔵資料のクリーニング作業

昨年11月にレスキュー、ドライクリーニング作業を施した同家の資料について、臭気の発生など洗浄作業の必要性が確認されたため、1月11日より洗浄作業を実施した。 昨年段階でドライクリーニングを実施していたため、資料全体の顕著な泥汚れは存在していなかった。そのため、脱塩作業と刷毛では取り切れない泥汚れの除去を目的として全点洗浄作業を施し、併せて臭気の除去を目指した。 同家の作業は1月17日に完了し、今後整理作業を経た後撮影作業を実施する予定である。

3 栗原市有壁個人所有資料のクリーニング作業

 2011年7月にレスキュー作業を実施した同家の資料について、1月10日よりクリーニング作業を実施した。  同家の資料は、内陸部に所在していたため津波の被害を受けなかったが、土蔵の崩壊により泥汚れなどの被害を受けていた。そのため、泥落としを中心としたドライクリーニング作業を施した後、整理用封筒に1点ずつ収納する整理作業を実施した。  同作業は1月11日に完了し、今後撮影作業を実施する予定である。

4 仙台市青葉区八幡町個人所蔵資料のクリーニング作業

2012年1月16日、仙台市青葉区八幡町の個人宅所有土蔵が解体されるという情報に基づき、同家のレスキュー作業を実施した。1月16日、18日2度にわたるレスキュー作業により、約3000点の資料を搬出した。同家の資料も津波被害を受けなかったが、土壁の崩落などによる被災を受けており、1月18日よりドライクリーニング作業を実施した。

同家の資料は、紙資料と物品資料(「モノ」資料)が混在状態にあったため、これらの分別作業をクリーニング作業と並行して実施し、今後の整理・保存の円滑化を目指した。 1月26日、クリーニング作業、中性紙封筒への収納作業が終了し、同家の整理作業を完了した。今後、他の資料同様に撮影作業を実施する予定である。

 

5 東松島市矢本個人所有資料のクリーニング作業

 東松島市教育委員会の要請を受け、1月26日同家のレスキュー作業を東松島市教育委員会と共同で実施した。  同家の資料も津波被害を受けていないが、経年によるダメージと、土壁の崩落にともなう被害を受けており、クリーニング作業の必要性が確認された。  1月27日より作業を開始し、現在継続中である。

6 石巻市住吉町個人所有資料のクリーニング作業

 1月20日および29日、津波被害をうけた同家のレスキュー作業を実施した。  被災から1年近く放置されていたため、カビなどによる資料の著しい劣化が確認された。そのため、1月30日より資料のカビ抑制作業を開始し、併せて乾燥作業を実施した。  一連の資料について、乾燥作業が完了した段階で、泥落としを中心としたドライクリーニング作業を実施し、可能であれば洗浄作業まで実施する予定である。

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「想い出」を救出するために

東北ヘルプは、被災各地の様々な支援活動を支援することを、その設立の一つの目的においています。

まだ、今のような事務局が立ち上がらなかった頃、阿部牧師と川上が「二人事務局」をやっていた頃、

日本YWCA様が腕利きの事務スタッフをボランティアとして送ってくださっていた頃、一つの小さなプロジェクトが始まっていました。

それは、「想い出」を救出するプロジェクトです。

最初、東北ヘルプ理事の黒須さんが、一つの話を持ってきてくださいました。それは、6月の初旬のことです。

自衛隊や消防関係者の手によって、数百枚にわたる写真が、回収された。

それは泥にまみれ、付着し、どうしようもない状態であった。その洗浄作業のために、一人の女性が立ち上がった。その方は、「ヒューマンタイズ」という団体を組織し、各方面に声掛けをして、数えきれない写真にこめられた無数の「想い出」の救出作業に取り掛かった。私たちは、すぐにその方と連絡を取り、また、教会関係者に人手がないか、問い合わせました。

すぐに、日本バプテスト連盟 仙台基督教会の「チーム・キタヨン」様が、名乗りを挙げてくださいました。

その頃、ちょうど、私たちは、初めて福島の状況調査を始めたころでした。仲間に加わってくださったばかりの三枝理事が、同行してくださいました。調査は、相馬市を訪れるものでしたが、同時に、新地町にある、日本YWCAのボランティアセンターを訪れました。その時、その隣に、巨大な写真洗浄ステーションがあったのでした。そこには、写真洗浄のノウハウが集積していました。

すぐに、私は「チーム・キタヨン」の渡辺さんに連絡をし、ノウハウは、移植されることになります。

そんな、うれしい思い出の写真洗浄に、今月、仙台キリスト教連合の新年一致祈祷会で、再び出会うことになります。

「ヒューマンタイズ」様は、今、洗浄の追い込みに入っているとのことで、人手が足りない、という状況にあり、支援の呼びかけを、一致祈祷会後の連絡の時間に、キリスト教連合世話人の高梨さんがしてくださったのでした。チラシを見てみると、思い出深い「ヒューマンタイズ」様のもの。驚いて、高梨さんと話し合い、東北ヘルプは再びお手伝いをさせていただくこととなりました。

以下に、チラシをご案内します。

もし、遠方からご参加の方は、東北ヘルプとしてもご支援をしたく願いますから、事務局宛、ご連絡を賜れば幸いです。(もちろん、直接「ヒューマンタイズ」様にご連絡くださっても大丈夫です)

以上、感謝してご報告いたします。

(2012年1月25日 川上記)

急募! 写真洗浄ボランティア

現在、若林区にある仙台園芸センターにおいて消防・自衛隊関係者が若林区で収集した被災写真の洗浄・整理作業が行われています。2月29日から仙台駅東口パルシティで関係者の方々にお返しする予定ですが、洗浄・整理のボランティアが不足しています。これからは火・木・日に下記の内容で洗浄・整理作業を行いますので、一人でも多くの方のご協力をお願い申し上げます。


写真洗浄風景

【期間】

各回 AM 9:30~15:00
1/24(火)・1/26(木)
2/ 5(日)・2/ 7(火)・2/ 9(木)・
2/12(日)・2/14(火)・2/16(木)・2/19(日)・
2/21(火)・2/23(木)・2/25(土)・2/27(月)

【場所】

仙台農業園芸センター
〒984-0032 宮城県仙台市若林区荒井字切新田13-1
電話 022-288-0811/FAX 022-288-1772

【交通手段】

行き(8:40) 仙台駅西口バスプール6番乗り場より農業園芸センター行き
帰り(15:45) 農業園芸センター発(仙台駅前経由)交通局・大学病院行

※駐車場もございます。

【持ち物など】

・マスク(多少のほこりが出ます)
・昼食(お弁当)は各自ご持参下さい。
・当日は寒さが予想されますので、暖かい服装でご参加下さい。

【主催】

仙台市消防局

【協力】

一般社団法人 ヒューマン・タイズ仙台
東北ヘルプ(仙台キリスト教連合被災支援ネットワーク)
若林ヘルプ

【連絡先】

ご協力を頂ける方はTEL:022-776-5411(ヒューマン・タイズ 佐々木)
又は fukkou-thos☆hu-tie.com (☆を@に変換)まで。

ご連絡をお待ちしております。宜しくお願い致します。

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湯たんぽを相馬市柚木仮設住宅へ

11月の終わりに、兵庫県尼崎市のNPO法人シンフォニー(http://npos.cc/)を通じて支援のお申し出がありました。

尼崎で生産され国内シェア六割以上を占める良品質の湯たんぽ200個の提供の申し出でした。「寒い冬を迎えている被災地の方々に暖かなものを」という気持ちを込めて、とのことでした。東北ヘルプ監事でもある日本キリスト教団仙台北教会の小西望牧師が取り次いで下さり、東北ヘルプに連絡があったのでした。

納入場所は、福島県相馬市内の仮設住宅となりました。日本同盟基督教団 相馬キリスト教会の後藤先生が、震災以来続けておられた支援に合流させていただくこととしたのです。

後藤先生の支援活動については、ミッション東北 福島聖書教会の木田先生から、私たちに相談を頂いていました。

木田先生からの相談は、次のようなものでした――「福島県浜通りは、原発のあった場所なので、ボランティアなどがあまり来ない。そんな中で、後藤先生が奮闘している。福島市は後藤先生の教会まで近いのだが、途中に高線量地帯があり、容易には到達できない。そこで、仙台市から南下して支援を展開してほしい。」

この相談は、最初、「ルーテル教会救援『となりびと』」のスタッフの方に届きました。「となりびと」様は、石巻・北上地域に支援を展開しています。被災地は、広い。すべてを、一つの団体でカバーできるものではありません。そして、「となりびと」様から私たちに、支援要請の伝達を頂いていたのでした。

私たちは、相馬の後藤先生と、大切な出会いをしていました。既に、東北ヘルプのホームページ「原発関連の被災支援」(http://touhokuhelp.com/nuclearsupport/index.html)の最初にご報告しました通り、私たちの「原発事故問題」への取り組みは、6月に始まります。

その最初、私たちは後藤先生にお時間を頂き、この問題の奥深さと困難さ、そしてそれに立ち向かうために必要な祈りと信仰について、後藤先生から教えていただいたのでした。

東北ヘルプ理事のおひとりに、秋山善久牧師がいます。

秋山先生は、日本同盟基督教団の東北地区の責任者でもありますから、私たちは、秋山理事を担当者として、日本同盟キリスト教団相馬キリスト福音教会の後藤先生への支援を行うことで、浜通り地域への支援を開始したのでした。

そして、12月27日、私たちは相馬市柚木仮設住宅へ向かったのでした。この仮設住宅に、後藤先生はしばしば訪問し、クラッシュ・ジャパン様などの支援を届けていました。


  • 「フラット底で安定、お湯も注ぎやすく」と解説

  • 配達作業を開始する

柚木仮設住宅は、約200戸の大きなものでした。しかし、市街地や街道から少し離れた山麓にあり、周りには何も無く交通や買い物が不便な様子で、夜は「寂しいかな」という感じを受けました。

住人の方々には湯たんぽの提供を1世帯1つずつすることを事前にお知らせをしていました。納入日は暮れも押し迫った12月27日となりました。支援のお手伝いとして、メノナイト・ブラザレン 亘理聖書教会牧師の熊田先生と、国際飢餓対策機構の皆様が参加してくださいました。

当日は、相馬キリスト福音教会の会員の方々と我々、総勢14名で目的地に向かいました。配達作業は仮設住宅の棟ごとに人員を割り当て一軒一軒訪ね手渡しをし、留守のところはそのまま玄関先に置いて行きました。手際よく作業をこなしました。送られてきた200個の湯たんぽのうち、お配りしたのは146個、残りの54個は南三陸町で支援の乏しい仮設住宅や損壊住宅生活者のために用いることといたしました。

途中で住人の方々のお話を聞くことが出来ました。その声を、いくつか紹介いたします。

農業をしていたご夫婦:「湯たんぽ、ありがとう嬉しい。オラ達は津波で農機具が全部流され、農地はあるけんど仕事が出来ねぇんだ。隣は若いお嬢さんでお母さんを亡くし一人で住んでるけんど、昼は仕事に行っていねぇけんど、休みの日でもほとんど顔合わせたことがねぐ、何しているか、わがんねぇんだ」。

ご主人を亡くされた一人暮らしのご婦人:「夜寒いから湯たんぽ嬉しいっちゃ、ありがとう。息子も娘も遠くにいるから、正月は孫連れてくることになってるけんど・・・」(何か寂しそうに遠くを見る感じでお話くださいました。)

ある中学生:「学校へはバスが迎えにきて通学してます。湯たんぽありがとうございます。暖めて使いたいと思います」と話してくれました。


  • 後藤先生(中央)と各戸に配るボランティア

  • 最後に皆さんで記念撮影

湯たんぽは、これから本格的な寒さを迎える被災地にとってとても嬉しい贈り物であった様子です。受け取られた皆さんは、本当に喜んでおられました。今後、こうしたつながりをさらに活かしてて行ければとの思いを得ました。たとえば、今後のつながりや交わりをもつためのメッセージなどがあってもよいかもしれません。支援してくださった方々に、感謝と共に、そうした可能性をお伝してみようと思います

(2012年1月17日 戸枝・川上記)

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ニッペリア仮設住宅 縁台納入

皆さま、あけましておめでとうございます。

東北ヘルプは、2011年に発生した東日本大震災への支援として活動を始めました。

9ヶ月が過ぎ、緊急時であった当初とは変わってきている部分もありますが、支援の働きの必要性は、未だ高いと言わざるを得ない状況です。

そんな今年始めの記事として、昨年末のニュースをご報告させていただきます。

活動は年を越えても継続しています。

そしてその継続が、時間を経るごとに大切な意味を持ってきています。

これからも微力ながら、一日も早く被災者の皆さまが安心して、ご自分の生活を取り戻すことが出来ますよう、東北にある教会の働き、また共に生きる者として支援をしていきます。

全国の皆さまのお支えに感謝しつつ。

どうぞ本年もよろしくお願いいたします。

主にあって。

(2012年1月1日 阿部 記)


高さ50cm、幅180cm、奥行57cmの縁台。
軒下に置いて安定感があり、腰かけるにも便利です。

仙台市内に、「ニッペリア仮設住宅」という仮設住宅団地があります。

この団地は、運動施設用の敷地に作られました。現在約160世帯が居住する仙台でも大規模な仮設住宅となっています。敷地内にはクラブハウスがあり、明るく綺麗な集会所や事務所がおかれ、市街地に近く仙台駅から車で行くと30分ほどで到着することが出来ます。

その環境の良さから、多数のNGOや企業などのボランティアが入りイベントや物資支援などが充実している仮設住宅団地です。

しかしそれでも、やはり、居住に関しては多くの不便があります。

たとえば、「洗濯物」の問題があります。裏側の高いところに物干し竿を通して洗濯物を干すような住宅の構造になっているために、背の低い方やお年寄りには大変不便で危険でもあると、指摘されていました。

自治会の皆様は、安定した踏み台の必要があることを確認し、その必要個数まで確認して私たちに支援要請をしてくださいました。

こうして、私たち東北ヘルプに「縁台135台」の要望が届きました。私たちはこの要望を受け、サマリタンズ・パース(SPJ)様に相談を申し上げました。そして、東北ヘルプ・SPJ合同のプロジェクトが始まったのでした。


ニッペリア仮設住宅で打ち合わせをする
SPJのチャック&ユミ ロブ夫妻

購入に際しては、SPJ様と折半となりました。また、搬入当日は皆で一緒に組み立てをすることによって、被災者と支援者の交流を図ることとしました。

パートナーとなって頂いたSPJ様は、超教派福音主義の団体です。

「サマリタン」とは、聖書に出てくる「善きサマリア人」を指し、「パース」は「財布」を意味する英語です。つまり、「良きサマリア人の財布」という意味が、「サマリタンズ・パース」という団体名の意味になります。

本部はアメリカ・ノースカロライナ州。

大規模な災害に対し支援活動を行い、時には米軍の飛行機で一緒に現地に赴き活動を行います。日本で活動するのはこの災害が初めてとのことでした。

現在、米国や日本の大工さんを雇い入れ、傷ついた家を無料で再建可能なところまで修復する活動をしています。

SPJで教会との連携を担当されるユミ・ロブさんは、日本での活動を「本国では、秩序の正しさや復興の早さに大変驚いており『さすが日本』と言ってます」と話してくれました。

納入日は、12月19日(月)でした。

SPJ様からアメリカ在住の日系三世の親子3人がおいでになり、東北ヘルプからの2人と共に、ニッペリア仮設住宅へお伺いしました。

仮設住宅の方々と力を合わせ、総勢15名ほどで、トラックからの荷下ろしと、組み立て作業を行いました。その後、作業が難しい独居老人の方々の分として50台あまりを皆で組み立てました。その他は、住民の皆様が各自で組み立てていただくこととしました。

それは、私たちの支援の姿勢に基づく判断でした。つまり、1から10まで全てをするのではなく、自立を促す意味でも出来そうなものは「自分たちでしてもらう」ことが良いと、私たちは考えているのです。


  • 協力しながら縁台を組み立てていく

  • 縁台に座りみんなにっこり


この度の支援を総括してみます。まず、私たちは、仮設住宅の不十分なところを知ることができました。そして、「必要」を補うことが出来ました。そして、私たち東北ヘルプは他団体とコミュニケーションをとり、協力し合うことができました。また、支援する側・される側の壁を越え、皆が一つになって作業を行うことができました。

多くの方々のご理解と協力によって、そして、皆様のご支援とお祈りによって、今回も意味深い支援をすることができました。

心から、感謝を申し上げます。

(2012年1月1日 戸枝・川上 記)

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第一回東日本大震災復興支援リトルリーグ野球大会

私たちのプロジェクトに、「外国人被災者支援」というものがあります。それは、宮城のNPO「笑顔のお手伝い」様に、調査員をして頂いているプロジェクトです。

「笑顔のお手伝い」様は、「外国人妻」と呼ばれる人々の人権問題と取り組む団体です。しかしそれだけではなく、少年野球やサッカーの支援もされておられます。

被災地の球場や運動場は、「瓦礫置き場」になったり、「仮設住宅用地」になったりしています。それは大切なことですが、しかし、そのことで、子どもたちは活動の場を狭めている。少年野球や少年サッカーの舞台は、今、被災地にほとんどなくなっているのです。

そこで、「笑顔のお手伝い」様は、被災地の子供たちに「野球をする喜び」をお届けしようと奮闘されていました。どうしても資金が集まらず、赤字覚悟で活動を強行されていました。そのことを知らされた私たちは、できる限りの支援をさせていただいたのでした。

「笑顔のお手伝い」様は、私たちの支援を喜んでくださり、報告書をまとめてくださいました。その内容を、以下にお知らせします。

皆様のご支援によって、こうしたお手伝いができますことを、心から感謝しつつ、ご報告いたしました次第です。

(2011年12月10日 川上直哉 記)

第一回東日本大震災復興支援リトルリーグ野球大会

2011年3月11日に起きた東日本大震災によって、多くの方々の生活が一変し、希望や輝きが失われつつあり、また、福島の原子力発電所からの放射能汚染の被害が連日報道され、震災後の重苦しい状況は現在も続いたままです。   

私ども「特定非営利活動法人笑顔のお手伝い」は、子供達の健全育成と硬式野球を通じて笑顔と元気を取り戻し、これからの生活に、未来に、勇気と希望を持って進んでもらう事を目的に、宮城県リトルリーグ協会のご協力の下「第一回東日本大震災復興支援リトルリーグ大会」を、11月19日と20日の両日仙台市ガス局グランドとベル・サンピアに於いて開催を致しました。

参加チームは、全十チームで、福島県から現在も放射能の影響で、外での活動が制限されている状況の中、郡山と白河、そして相馬・双葉の子供達が避難している会津・喜多方の3チームが参加してくれました。


11月19日(土) 仙台市宮城野区 ガス局グランド

参加10チームが元気に開会式に参加してくれました。開会に先立ち、1分間の黙とうを捧げました。

当日は、あいにくの雨模様でしたが、子供達の元気なプレーでお天気も回復してきて大会1日目を無事終えることができました。


1日目夜、福島からきた子供達65名は、宮城県青年会館に全員一緒に宿泊しました。

同会館にて、チーム関係者が一堂に会し、交流会を開催しました。


★郡山リーグ(橋本監督)

現在、チームが使用しているグランドは、放射能の除染がまだ済んでいません。低学年の子供達は週末30分だけ、高学年の子供達は1時間だけの練習しかすることができません。早く放射能の心配がない練習場所が確保できればと思っています。今回、このような大会を開催していただき、ありがたく思っております。

★白河リーグ(難波監督)

福島の中でも、放射能の数値が比較的低いので、練習はすることができますが、常に放射能の数値を気にしながら練習をしております。この大会が今後も続くよう願っております。早く安心できる環境になり、白河で大会を開催したいです。

★会津喜多方リーグ(室井監督)

会津は、放射能の心配がさほどありません。そのため、県内のチームが練習場所を求めて会津に集中してきており、グランドの確保が大変です。また、相馬と双葉から避難してきた子供達が、現在、わがリーグで頑張って練習しています。このような大会が、今後も開催されることをお願いいたします。


11月20日(日) 黒川郡富谷町 泉ベルサンピアグランド

参加チーム

《福島県》

白河リーグ、郡山リーグ、会津喜多方リーグ

《宮城県》

仙台リーグ若林フォルコン、仙台西リーグ西多賀大東、

仙台青葉リーグ折立スパローズ、塩竈リーグ塩竈ドラゴンズ、

仙台東リーグ鶴ヶ谷ファイターズ、仙台東リーグ原町レッドアローズ、

宮城野リーグ東新ヤンキーズ、宮城野リーグ宮城野ブッシャーズ

※ 鶴ヶ谷ファイターズは、インフルエンザのため当日棄権

【 大会結果 】

優 勝 仙台リーグ若林フォルコン

準優勝 宮城野リーグ宮城野ブッシャーズ

第3位 仙台西リーグ西多賀大東

第4位 塩竈リーグ塩竈ドラゴンズ

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11年11月 津波被災資料保全活動報告

東北ヘルプは、津波で被災した歴史資料の洗浄と修繕を行っておられるNPO法人宮城歴史資料保全ネットワーク様と協力し、歴史資料の保護活動に当たっています。

今回、宮城歴史保全ネットワーク様からご報告をいただきましたので、紹介させていただきます。

(2011年12月10日 記)


2011年11月 津波被災資料保全活動報告

2011年11月30日

NPO法人宮城歴史資料保全ネットワーク

東日本大震災にともなう津波被害で被災した歴史資料を保全するため、NPO法人宮城資料保全ネットワークでは、下記の通り被災資料のクリーニング作業を実施し、歴史資料を後世に遺すための活動をおこなっている。

なお、本活動は、事務局の指導のもと、各地から申し出をいただいたボランティアとともに実施している。

1 陸前高田市個人所蔵資料のクリーニング作業

1-1 ドライクリーニング作業

前月に引き続き、同家の津波被災資料について泥汚れを除くドライクリーニング作業を実施した。

今月実施した対象は、同家の所蔵していた蔵書類を中心に実施し、泥の除去と整形作業をおこなった。


  • 処理前

  • 処理後

これらの作業は12月以降も実施する予定である。

1-2 洗浄作業

ドライクリーニングを終えた資料について、塩分除去のための洗浄作業を実施した。

水を張ったコンテナに資料を浸し、塩分の除去、ドライクリーニングで落としきれなかった泥汚れの洗浄と整形作業をおこなった。

2 石巻市湊個人所蔵資料のクリーニング作業

11月14日に石巻市湊より津波で被災した資料を搬出した。

同資料群にはカビが発生していなかったが、泥汚れが顕著であり、資料同士の固着も甚だしかったため、資料の固着展開作業と、ドライクリーニング作業を同時に実施した。

これらの作業は11月24日に完了し、12月以降に整理用の中性紙封筒を利用して整理し、デジタル撮影したのちに、印刷作業を実施する予定である。

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10月30日「やまもと復興まつり」への協力

去る10月30日に宮城県・山元町で「やまもと復興まつり」が行われ、東北ヘルプは炊き出しの材料提供という形で参加させていただきました。

やまもと復興まつりのご報告と、おてら災害ボランティアセンターさまからお礼状をいただきましたのでご紹介いたします。

(2012年12月3日 記)

平成23年11月24日

東北ヘルプ 殿

おてら災害ボランティアセンター

センター長 藤本 和敏

やまもと復興まつりへの協力について(お礼)


晩秋の候、皆様におかれましてはますますご清栄のこととお喜び申し上げます。

さて、このたびは10月30日に山下駅前で開催されました「やまもと復興まつり」につきまして「お祭りを復興の足がかりにしたい」という地域住民の方々の趣旨にご賛同いただき、芋煮で使用する豚肉の購入費を支援いただきましてまことにありがとうございます。

おかげさまをもちまして、震災以降、閑散としていた駅前に多くの方々にお集まりいただくことが出来ました。開催前より行列が並び、夕方まで絶えることはありませんでした。

以前のような賑やかさを取り戻した町を見ながら涙を流されている方もいらっしゃいました。

予想を超える来場者数で提供いただきました豚肉を使った芋煮500食もあっという間になくなりましたが、多くの皆様に喜んでいただくことができました。

地域の方々とそれを支えるボランティアが一体となったすばらしいお祭りになりました。

今後も山元町の皆様の復興のために、地域の方に寄り添いながら、ボランティア活動を続けてまいりたいと思いますので、今後とも私たちの活動にご理解とご協力をお願いいたしますとともにお礼のご挨拶とさせていただきます。

ありがとうございました。

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いしのみなと教会震災支援活動報告

東北ヘルプは石巻で活動されている、保守バプテスト同盟いしのみなと教会さまと協力する形で、石巻での支援活動に関わっています。

今回、いしのみなと教会さまからご活動の報告が届きましたので、お知らせさせていただきます。

(2011年12月2日 記)

いしのみなと教会震災支援活動報告

(2011年11月30日 記)

被災者支援には、様々なものがありますが、私ども教会はとくに、住み慣れた場所を退去せざるを得なかった人々、そして全く新しい地で仮設住宅に入ってこられた方々に、炊き出しや地域の情報提供だけではなく、心に安らぎが与えられるコンサートなどを通しても支援させていただいております。

☆ボランティア・チームが腕によりをかけて、被災者たちに心のこもった料理を提供しようとお弁当づくりに励んでいます。

☆少しでも栄養を、と。また、閉じ籠もりがちになってしまう仮設住宅から、一歩外へ出る機会として、コンサート形式の会食などをおこなっています。(石巻あけぼの)

「やっと落ち着けた」と言ってくださる方、

「自分で(料理を)つくる気がしない」と言われる方に、リラックスしてゆっくりと食事をしていただけました。

この東日本大震災で、いろいろな支援の仕方があります。

そこで私どもが大切にしている支援の中心に、人間の血の通う暖かさと希望があります。

それは、支援者、被支援者という二者の異なった立場ではなく、共に生きる者として互いに課題が与えられているという、ごく当たり前の、支え合う人の営みの回復を目指し、寄り添いながらも小さな助けを積み上げていくようにしています。

傾聴していると、突然声をつまらせ、涙を流される人が、今なお大勢います。8ヶ月以上たった今だからこそ、失ったものの余りにも大きな価値に気づくということもあります。

逆に、今この時に命を感じて、もっと前向きに、もっと喜びを感じたいと、積極的に楽しみ、慰めを求める人たちもいます。

☆仮設住宅集会室での、名古屋と石巻をインターネット回線で結んでの『秋祭り』。サンバの踊り、歌、お弁当を拡げて楽しく!

地域によってさまざまな住環境が形成されつつあります。まとまりのある仮設住宅コミュニティーと、今なお自治会ができないでいるコミュニティーと。

小さな地域などは比較的にまとまりやすく、そのために行政との連絡のやり取りが比較的にスムーズに進んでいるようです。

反対に、世帯数の多い仮設住宅団地は、各棟ごとに班長は選出できても、その上に意見を集約する組織がなかなかできては来ない、難しい状況におかれています。

そうなると、支援活動がスムーズになされるところと、一部、引っかかりを感じつつ、支援が本当に喜ばれているのかどうか、状況にもなったりすることがあります。

そこで大切なことは、やはりその活動がどのように受け止められているのかということを、実際に支援を受けている方に心を開いて語ってもらう以外にありません。

的確な支援、より良いものを提供するということだけではなく、そのコミュニティーの人々とのつながりを深めていく、ということ以外には、最善の解決策はないと思わされています。

丁寧に、そして低く、助けを必要とされている方々になおつながっていきたいと願っております。

つづけてのご支援をよろしくお願いいたします。

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兵庫教区長田活動センター どんぶく支援

以前、七郷中央公園仮設住宅に支援物資の要請があった際にお菓子や、パソコン関連の他に「どんぶく、つんぬぎ」と言うのがありました。「どんぶく」はいわゆる綿入れ半纏のことで東北地方ではこう呼びます。「つんぬぎ」は袖のない綿入れちゃんちゃんこで、ネットで検索するとほとんどが赤いちゃんちゃんこでした。昔は子供も大人もお年寄りも冬に普段着としてよく着られていたものです。今は安価なフリースやダウンジャケットなどに取って代わられあまり馴染みのないものになってしまいました。

要請はその後、荒井2号公園仮設住宅と荒井7号公園仮設住宅と同じ自治会の分を合わせ120着になりました。しかしそれは当会の趣旨とは違うものとして残念ながらお答えすることが出来ませんでしたが、仮設住宅の冬の厳しさやお年寄りが多いことを考えると私たちとしてはなんとか支援したいと考えておりました。

それを東北教区エマオを通じ支援に来られている兵庫教区長田活動センターの庄司宜允牧師にお話しをすると条件付きで、120着分を予算50万円で引き受けてくれることになりました。

  1. その条件は
    ①七郷仮設住宅付近で被災しこれから頑張ろうとしている個人の販売店から東北ヘルプが仕入れること
  2. ②8月に市から空いている仮設住宅の部屋にボランティア団体が間借りできることになっているので、この地区の仮設住宅に入居できるように協力すること

と言うことでした。

①の販売店はいろいろ情報を仕入れたり七郷地区を回り探しましたが相応しいお店がありませんでしたので、スタッフの知り合いで市内の個人で営なんでいる三浦ふとん店様から仕入れることになりました。ものは九州久留米かすりでたいへん上質なものです。ただ「つんぬぎ」に関しては他でも探しましたが、同等のものがなく断念し、すべてを「どんぶく」で納めることになり、購入総額は¥439,800となりました。②は連絡を取り合っている市の職員の方から自治会の会長、副会長をご紹介いただき、市に対して住人の方から要望してもうらうようにお願いしました。

納品当日は庄司先生と一緒に向かい、市の職員の方々と3カ所それぞれに仕分けをし納めました。その時にお会いしたある住人の方は、ご主人を亡くされ家も流され子供も遠方に住んでおり、経済状態も困窮していると言います。そして私たちにこう言いました「私、うつ病になって死にたいの、みんな亡くなったの、嫁に来たときから親戚によそ者扱いされ苦労してきたのに、なんで?」と。一緒にいた自治体の方も涙を流しながら慰め同情します。私たちは一瞬たじろぎ言葉を失います。

兵庫教区長田活動センターは阪神淡路大震災時に「地域の復興無しに教会の復興無し」と設立されました。激甚災害時には即時情報収集、支援体制を整えており、以前のトルコ地震、中越地震、能登半島地震などの支援活動をしています。東日本大震災に際しては3月14日に被災地に入り支援活動をしてきました。庄司先生は4月に「福島の情報が関西に全然入ってこない」と言うことで、兵庫県南部大地震ボランティアセンターと共同派遣と言う形で来られ、東北教区エマオを拠点として、主に福島の情報収集、支援活動をしてこられました。福島では原発20キロの通行止めぎりぎりのところまで行ったり、毎日200〜300キロの距離を軽トラで往復したり大変だったそうです。

今回、庄司先生が「どんぶく」の要請に応えて頂いたのは「寄り添いプロジェクト(仮名)」を立ち上げ、仮設の一部屋を借り受け、被災した方々のそばで心のケアに勤めたいという意志からでした。さらに東北教区エマオが七郷地区で泥かきや家の修理などのボランティア活動をしているので、その人たちの休憩所や交わりの場所として活用しようという考えもあります。

七郷中央公園の集会所ではご婦人方が三々五々集まってきて下さり、にわかに試着大会になりました。それぞれに好みの柄を選びワイワイガヤガヤと「これがいい、あれがいい」と賑やかに楽しく、ものの良さに目を丸くするシーンもありとても喜んでもらえたと思います。

私たちは「どんぶく」を支援すること通じ、被災した方々のたくましさを感じるとともに現実を目の当たりにすることになりました。繰り返される災害後の悲劇、この地で私たちキリスト者として、人間として何が出来るのか、今問われているのだと思います。あまり気を張らず、必要なときに必要なだけ寄り添い、人を大切にしていくことが求められていると思います。(戸枝)

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東通り仮設住宅・お弁当サービス

5月に東通りの仮設住宅が194戸の規模で出来上り175戸に約400名の方が生活をし始めました。

そこで当会としてこれから「何が必要なのか」を知るために、アンケート調査をさせてもらいました。その中で「食事の支援をして欲しい」という要望が出され、それに応えるため検討をし安全性や信頼性の高いものを提供できるお弁当をと考え協力してくれる会社を探しました。

今回、ご協力して頂くことになった、ホットモット(プレナス)様は復興支援事業として1食1円の支援プロジェクト(http://www.hottomotto.com/1-1project/)を展開し、1年間で3億食の販売を見込み、支援活動に積極的に取り組んでいます。

お弁当サービスは9月より「ご高齢の方や世帯主などのご家族をなくされた方のなど、毎日の食事を準備することが難しい方にご利用いただき、ご家族の皆さんが安心して食事が出来るようになること」を目的とし、パートナーの若林ヘルプを通し対象者を「お父さん・お母さんを亡くされたご家族、65歳以上の方、要支援・要介護の方および配偶者の方」としました。

サービスの内容は月曜日から金曜日の夕食になり「おかずのみ¥200・ご飯付き¥240」となっております。

メニューは2種類ありホットモット本部栄養士がバランスのとれたものを考え提供しています。当会からは1食¥100の支援になり、10月は231食の支援になりました。

毎週金曜日にはホットモット様から¥50引きのサービスをいただいております。

パートナーの若林ヘルプはその他、学習支援、防犯支援などアンケートを元に支援体制を整え、東北ヘルプから毎月50万円の人件費やランニングコストを含めた資金提供を受け運営されています。

このサービスは、9月から実現を目指して努力を続けてきたものでした。当初より、ある程度のニーズがあり、試行錯誤しながら、システムを組みあげてきました。ホットモット様にも栄養バランスのとれた特別メニューを考えてもらい食材も仕入れ、また足踏みをしつつ、より良いシステムを模索し続けてきたのです。

人々の口に入る事柄であり、毎日の生活にかかわる事柄でしたから、多くの検証を必要としたのでした。

そして今、仮設住宅の一棟を区から借り受けることも出来、ついに、お弁当サービスが始まったのです。

お客様に聞いてみました。

「美味しくて安くて助かる」「早めに来て待っている間にみんなと話をするのが楽しい」などの話をもらいました。

今後は今までのことを一度検証し、さらに増やしていきたいと思っています。 (戸枝)

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大船渡宮田仮設住宅への支援

9月末に秋山理事、川上事務局長が岩手県内のエキュメニカルな教会ネットワークを訪問した際に(http://tohokuhelp.com/secretariat/index.html)、花巻キリスト伝道所の熊谷英三郎先生を通じ、大船渡宮田仮設住宅が行政やNGOなどの支援が十分に受けられていない実情を知りました。

それを受け東北ヘルプでは他団体の協力を得て支援をすることが決まり、支援物資の詳細を聞きに大船渡へ向かい、宮田仮設住宅の自治会長の平山氏に話を伺いました。

三枝理事:先日、私どもがこちらへ訪問した際にいろいろ事情をお聞きし、ぜひご支援させて頂きたいと燃えております。私たちは仙台で活動しており、なかなかこちらの細かいニーズを把握出来ないでおりますので、今日は大船渡教会の村谷正人牧師の協力を得て一緒に支援活動をしていこうと思っております。

平山氏:宮田仮設住宅は100世帯・209名の規模で大船渡市にある37の仮設住宅のうち3番目に大きいほうです。岩手県の雇用促進事業で北上市と大船渡市が連携し派遣会社のジャパンクリエートさんに委託し、80人を仮設住宅の支援という形で雇用し各仮設住宅の自治会に配置しました。

こちら仮設住宅にも4人の人間が派遣されましたましたが、そのとき自治会には机も椅子もなく、パソコン、コピー機、書類入れもなくボールペンの一本さえも有りませんでした。これで自治会活動と言っても人だけ来て「さぁ、どうすればいいの」と戸惑っておりました。それを行政に求めても「派遣会社に言ってくれ」と言われ、派遣会社では「行政に言ってくれ」とらちがあきません。仕方なく私個人で、ある程度のものを用意しましたが、それにも限界があります。その後赤十字さんからある程度の支援物資が届きましたが、集会をやるにも椅子が足りないテーブルがない、座布団が足りないなどの状態で悩んでいたところ、ここの住人の親戚の方で花巻で牧師をされている熊谷栄三郎さんという方がおり、その方が実態がどうなのかを聞きに来てくださり、そちらとも繋がり、先日来て頂いたのです。

そのときは私の話だけではなく「他の住民の方にも要望を聞いてくれ」と言うことでしたので、自治会役員会を開き具体的な物資のリストを作りました。

会議テーブル10・伸縮物干し竿100・パイプ椅子30・事務机1・事務椅子4・縁台42・電気ミシン2・イベント用テント2・ヘルスメーター1・血圧計1・ブルーレイプレーヤー1・拡声器1・メガホン3・書類棚1・座布団30、という内容でした。

村谷牧師からは「出来るだけ地元の販売店を利用して欲しい」と希望があり、納品や手配などは「協力する」と言ってもらいました。

当初他団体にも協力してもらう予定でしたが、諸事情により東北ヘルプのみの支援となりました。要請物資のうち希望する縁台は単価が高額で数量が多いため自作などを検討し今後の課題としました。イベント用テントは日常的に使うものではなくレンタルでも対応できるため見送ることに致しました。ブルーレイプレーヤーは他団体の支援基準に合わないために最初に外すことになりました。その他のものは全て希望に添う形となりました。

今回は十分にご要望に添った形にはなりませんでしたが、平山自治会長からは大変感謝のご連絡を頂くことができました。また、遠方のため私たちがたびたび訪問することが出来ず、大船渡教会の村谷牧師には数々のご協力を頂きましたこと感謝いたします。

今後も連携して支援していきたいと思います。(戸枝)

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古文書レスキューのために
2011年5~10月 津波被災資料保全活動報告


東北ヘルプは、「被災支援の支援」を行います。

具体的には、

1.各教会から、「支援の必要な支援団体」をご紹介いただき、

2.代表者にお会いし、

3.理事会に諮って、

支援を開始します。

そうした「支援団体」の一つに、「NP0法人宮城歴史資料保全ネットワーク」様があります。日本基督教団北三番丁教会様より要請を頂いて、支援が始まったのでした。

「NP0法人宮城歴史資料保全ネットワーク」様から、最初の報告が届きました。こうした尊い御労をご一緒させていただけることを名誉に思い、みなさまのご支援に感謝しつつ、以下にご紹介をいたします。

****************************************

2011年5~10月 津波被災資料保全活動報告
2011年11月1日
NPO法人宮城歴史資料保全ネットワーク

東日本大震災にともなう津波被害で被災した歴史資料を保全するため、NPO法人宮城資料保全ネットワークでは、下記の通り被災資料のクリーニング作業を実施し、歴史資料を後世に遺すための活動をおこなっている。
なお、本活動は、事務局の指導のもと、各地から申し出をいただいたボランティアとともに実施している。

1 被災資料のドライクリーニング

1-1 泥落とし作業

津波によって資料に付着した泥を、刷毛や筆、ヘラなどによって落とす作業をおこなった。あわせて、泥や海水で固着した資料の展開作業を実施した。

1-2 カビ除去作業

津波の被害をうけたことにより、被災資料は水分を多く含んでいる。海水中の塩分により、紙が乾ききらない状態が長く続いていたため、事務局への搬入時には、多くの資料にカビが発生していた。

そのため、カビの発生した資料については、エタノールの噴霧し、ひどいものについては、エタノールに浸すことによって消毒作業を実施した。

2 洗浄・乾燥作業

2-1 洗浄工程

ドライクリーニング作業を終えた資料は、細かい泥と資料中の塩分を除去するため、真水による洗浄作業を実施した。

2-2 乾燥作業

洗浄工程を終えた資料は、乾燥工程を経ることで応急的な保全処置が完了する。乾燥作業については、厚手の資料は直接扇風機による送風乾燥をおこない、その他の資料は、濾紙に挟み込んで資料を乾燥させる方法を採った。

以上の工程を通して、被災資料の保全処置を施している。現在も資料の泥落とし、および洗浄作業を継続的に実施している。
今後、一連の作業を終えた資料について、整理用の中性紙封筒を利用して整理し、1点毎にデジタル撮影したのちに、印刷作業を実施する予定である。

以上

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石巻キリスト教系ボランティアセッション

2011/10/21

キリスト教系ボランティア団体 
 石巻エアリア代表者の皆様

仙台キリスト教連合被災支援ネットワーク
東北ヘルプ

〒980-0012
仙台市青葉区錦町1丁目13-6  D

Tel.022-263-0520
moble 090-1803-2333 (三枝)

石巻エアリア キリスト教系ボランティア団体
活動報告&情報交換会 開催のご案内

聖なる御名を讃美いたします。
石巻市及びその周辺地域で活動中の奉仕団体の皆様に、主の護りと祝福が豊にありますように。
地震、津波、原発事故により体と心と魂に傷を負う、すべての被災した方々の上に、主の慰めと癒しの御手が延べられますように。
さて、この度、仙台キリスト教連合被災支援ネットワーク(東北ヘルプ)では、標記のように石巻市周辺地域で活動なさっているキリスト教系ボランティア団体による、活動報告と情報交換の集いを計画させていただきました。下記のように計画しておりますので、是非ともご参加下さいますようお願い申し上げます。
ご不明の点がございましたら、東北ヘルプ、三枝までご連絡下さい。

日 時:
2011年11月1日(火)
16:00~19:00
(報告会は17:00からです)
開場 16:00 (準備、名刺交換、白地図に活動場所をチェック等)
(白地図にチェックするのは支援空白仮設・地帯を見つめる作業です)
17:00 ~ 18:00 各団体の活動報告 (1団体 5分が目安です)
  ペーパーをご用意いただけるとありがたく思います。
18:00 ~ 19:00 2~3グループに分かれて情報交換
19:00 解散
場 所:
日本基督教団 石巻山城町教会 (関川牧師)
〒986-0832
宮城県石巻市泉町1丁目2−5
0225-22-1267

ご準備いただくもの

名刺 (12団体からそれぞれ2,3名の参加があるものと思われます)
大きな地図に活動場所をチェックしていただくので活動場所をあらかじめ確認して下さい。
なお、なお資料をご用意下さる場合は少なくとも15部は必要となる計算です。

東北ヘルプがご用意するもの

プロジェクター
石巻 及び周辺地域の白地図
PC (Windows7 Power Point 互換)
お茶 と お菓子  ゴミ袋

以上

よろしくお願いいたします。
在主

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仙台YWCA「こころの杜」温泉ツアー

 10月28日、仙台YWCA震災復興支援室「こころの杜」で企画された温泉ツアーが、ニッペリア仮設住宅に住む抽選に当たった25名の招待者と「こころの杜」のボランティア11名、総勢36名の参加で秋保温泉岩沼屋で行われました。参加者は女性が多く、家族連れやご高齢の方などもおりました。当日はよく晴れ渡り紅葉には少し早い感じがありましたが、絶好の行楽日和となり一日のんびりと時間を過ごすことができました。

 今回、東北ヘルプへの要請は「資金協力をして欲しい、温泉ツアーに招待できる仮設住宅を紹介して欲しい」とのことで、5万円の資金援助とニッペリアの仮設住宅を紹介いたしました。岩沼屋さんは仙台YWCAが市の観光課に相談したところ、その趣旨を理解してもらい、いい温泉宿と紹介され、特別料金にてサービス提供をしていただくことになったそうです。余談ですが、秋保温泉は震災当時、警察官や機動隊の宿舎として使われ、全国から集められたパトカーや機動隊車両が道に列をなし、何千人という警察官が神妙な面持ちで往来し普段ではみられない緊張感があり、岩沼屋さんにも500人ほどの警察官が宿泊し石巻まで3時間かけて行っていたそうです。朝5時からの食事、お昼のお弁当、夜の食事などのまかない、食べる部屋が限られており、大柄で屈強な男たちが交代制でものすごい勢いで競うように食べるので、とても大変だったと仲居さんが話してくれました。
 これまで仙台YWCAでは、日本YWCAと一緒に被災者支援活動をしていましたが、10月よりこれまでの活動を引き継ぐ形で震災復興支援室「こころの杜」を立ち上げ、様々な活動を展開していくことになりました。「温泉ツアー」は「心と体のケアのボランティア養成講座」という金香百合講師が開いているボランティア講座の受講生がお手伝いに参加し行われました。

 当日はバスで仙台YWCA会館を出発、ニッペリア仮設住宅で参加者の方をお迎えして岩沼屋さんへ向かいました。到着後、プログラム説明と松本光子会長から「今日はのびのびし広い部屋で、楽しく過ごしましょう」と挨拶がありました。プログラムはみなさんの希望もあり少し変更され、気の合った仲間と過ごす自由な時間が増えました。まずは入浴しその後、すっかりリラックスしてボランティアさんも交え話が弾みかなりくつろいだ感じでした。
 昼食の銀だらの照り焼きは見た目も美しく、脂ものってさすがに高級旅館の味付け、みなさんも「おいしい」と満足していました。
 昼食後は寝っ転がったり外へ出たり買い物をしたり。またボランティアさんと会話を楽しむなど自由に過ごしていました。段々と落ち着いてきたころで「少し体を動かし体操をしましょう」と前に出てボランティアの方がみなさんに声をかけました。ジャンケンを基本に右手と左手の動きを変え、間違えてしまい笑いを誘います。みなさん一気に引きつけられ立って体を動かし始め、あちらこちらから笑い声が聞こえました。体操が終わるとテーブルの上に用意してあった紙を使い、周りからリンゴの皮のむくように手で切っていき長さを競うゲームをしました。みなさん真剣に取り組み真顔で紙を切って「私の方が長いの、短いの」と童心に返ったように夢中になって楽しみました。次はプレゼントタイム、あらかじめ配られている番号札とプレゼントに書いてある番号を合わせ、ワクワクしながら包みをボランティアさんと一緒にあけ「あら、いいっちゃ~」「いいもんもらったっちゃ~」と口々に嬉しそうにしていました。

 今回の仙台YWCAの企画はとてもに良い企画で、被災された方が大変楽しそうに、リラックスし元気になって帰られました。その姿を見た私たちも日常の喧噪をひととき忘れ、かえって元気をもらい、楽しく活動ができました。また、仙台YWCAのボランティア活動の能力は非常に高いと感じました。随所に的確な対応があり、それぞれに役割を果たし、多人数を一気にまとめ楽しませていました。そのおかげで「よかった、また来たい」とみなさん最後に本当に満足げに言っていました。

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仮設住宅支援の報告

東北ヘルプは、「若林ヘルプ」と協力して、「東通り仮設住宅」を支援しています。

この仮設住宅に入居しておられる方々と、東北ヘルプの理事・黒須さんが、震災直後からのお付き合いをしてきました。避難所から仮設に移る際には、住民組織の組み立てに関わり、共に悩み、苦しみました。

その中で、以下の四つの支援を計画しました。

1.学習支援:無料の塾を開講します。

2.防犯支援:住民と共に夜警を行います。

3.食事支援:高齢独居者や母子・父子家庭等への廉価な配食を行います。

4.共同体支援:イベントなどを通じ、共同体のまとまりを促進します。

そして、9月には第一段階の支援が始まりました。
本日は、その概要を以下の通り報告します。
皆様の御支援で、こうした支援が継続していますことを、
心から感謝いたします。

2011年11月2日 川上直哉 記

2011年9月2日活動報告

9月2日 荒井小学校用地仮設住宅において、市の職員より以下の通り住民の要望をお聞きしてきました。
・集会場の入り口部だけにでも雨樋及び階段、スロープに、手すりに滑り止めをつけて欲しい。
・雨天時は転倒する方も多く、今後雪が降ったりすれば不安であるとのこと。
・高齢者、障害者ゾーンの仮設住宅部についても上記同様、階段、スロープに、手すりに滑り止めをつけて欲しい(高齢の方の転倒が普段から目につくようです)。

華道家元 池坊仙台中央会有志一同様より挿花の差し入れを頂いています。
夏場とのこともあり3日に1度程いけていただいています。

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2011年9月3日東通秋まつり~準備編~

9月3日 荒井小学校用地仮設住宅において、明日は東通秋まつりなのです。全日の今日は、台風の影響で風も強い状況です。住民の皆さんと台風に備え土のう作りをしています。
台風の影響であちらこちらが通行止めとなりました。予定より大幅に遅れて山梨の「マイトレーヤー」様と山梨東消防団の先発チームが到着され、舞台の設営、荷物積み込み開始が始まります。
作業が終わり、夜は明日の最終確認のためのミーティング及び懇親会が開かれました。
お祭りのため前泊でご協力いただいた皆様に、心からの感謝を申し上げます。

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2011年9月4日東通秋まつり

東北ヘルプ グラウンド事業

9月4日東通秋まつり当日、たくさんのボランティアの皆様の協力のもと開催されました。
お祭りのためご協力いただいた皆様は、以下の通りです。
◆山梨のマイトレーヤー 代表吉田様ほか50数名
◆YWCA大阪 平井様、榎波様
◆新潟より船岡様
◆京都の女将の会様
◆グループ瞬間 代表大橋様ほか30数名
◆ソフトバンク様
◆アフリカ音楽 アディック様
◆ALTバタフライキッズ 代表ナロマ様ほか30数名
◆宮城教育大学 佐藤様、藤原様
◆伊達の牛タン本舗様
◆吉岡屋様
◆全国ネット・グリーンコープ・生活クラブ 代表川浪様
◆ニュージーランド音楽Nga Hau E Wha~踊りと歌のパフォーマンスチーム様
◆ヒューマンタイズ 代表佐々木様
そのほか多数のご協力いただきました皆様ありがとうございました。

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2011年9月20日活動報告

教育サポートの報告です。
今日は、台風第15号の大雨、大嵐の中、皆さんよく集まってきてくれました。送迎してくれる父兄の方々もびしょ濡れ、皆さん風邪をひかないように。
スタッフも渋滞の中遅れてなんとか到着、風も強く玄関まで水が入ってきました。

華道家元 池坊仙台中央会有志一同様より 挿花を定期的にいけていただいています。季節の感じられる挿花を毎日楽しみにしております。

今日は少人数なのでひとりひとり
しっかり見ることが出来ました

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「いしのみなと教会」の活動を、ご一緒に。

私たち東北ヘルプは、「支援する団体を支援する」ことを、自分たちの主な役割として、活動を続けています。

たとえば、本日、私たちは石巻に会議を開催します。石巻市には、10を超えるキリスト教関係の支援団体が活動しています。支援団体は、現場に没頭しています。どうしても、周囲との連絡調整は「後回し」になる。そこで、日本聖公会「一緒に歩こうプロジェクト」様とルーテル救援「となりびと」様から、情報交換の場を作ってほしいとの依頼を、私たちは頂きました。そうして、私たちが呼びかけ人となって、今日の夕方から会議が開かれるのです(詳細は、また報告いたします)。

他方、そうした連絡調整のみならず、物的・経済的支援も、私たちの役割であると自覚しています。全国・全世界の皆さまから、祈りのこもったご支援を頂いているのですから、それは重要な役割だと思います。

私たちは、「被災支援を、営利・政治・布教活動に、直接利用しない」という原則を持っています。しかし同時に、神様の愛を証しなければならないと、強く願っています。この「原則」と「願い」との両立を目指すこと、それは、一見すると矛盾するような課題です。それは「狭い道」です。その両立のためには、どうしても、知恵と祈りが必要です。共に考え、共に祈る、そうした関係を持たせていただいた団体に、私たちは、支援をさせていただく。そうして、皆さまからお贈りいただいた祈りと募金が、必要としている支援活動のために活用される。そういうシステムで、私たちは物的・経済的支援を各団体にさせていただいています。

本日は、私たちが支援をさせていただいています一つの団体様をご紹介します。石巻で活動しておられる「保守バプテスト同盟 いしのみなと教会」様の活動報告です。

「いしのみなと教会」様は、被災直後から、祈りひとつで、甚大な被災地に立ち続け、支援活動を継続してこられました。決して性急な伝道をせず、黙々と祈りつつ励まれたその働きは、確かに「キリストの香り」を放ったようです。教会は、少しずつ、人々の集まる場所となり始めています。「いしのみなと教会」の姿勢は、ひたすらに「PushではなくPull」で、と、伺いました。それは、支援にしても、伝道にしても、忍耐と知恵の練られた素晴らしい姿勢であると思います。

こうした団体を支援させていただけますことは、みなさまのご支援の賜物です。ここに感謝して、「いしのみなと教会」の活動をご紹介する次第です。

(2011年11月1日)

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「いしのみなと教会」震災支援活動報告(第1号)

私ども「いしのみなと教会」は、3月11日の大震災以来、全国各地よりの送られてきた支援物資、また数多くのボランティア・チームを通して、とくにこの大震災で最も被害の大きかった石巻市及び女川町にて支援活動をして参りました。

※学校、総合体育館などの避難所は、物質的な支援だけではなく、健康・衛生面、精神面でのケアが、いつも必要とされていました

震災直後、最も必要とされた食料や飲料水、毛布、衣料などは、週に四日のペースで配っておりました。また、大きな避難所など比較的に支援物資が集まりやすいところから、小さな漁村を回りつつ、不足がちな野菜やくだもの類の他に、ドロ出しや瓦礫片付けのために長靴はたくさんの支援団体から配られたということを聞き、日常に使う靴やサンダルが欲しいとの要望を受けて、さっそく手配して配らせていただいたりもしました。

※ドロ出し、瓦礫の片付け作業。避難所ではストレス気味の子どもたちとゲームで遊ぶ。不足している新鮮な野菜を喜ばれる被災者

震災直後から、数ヶ月たっていきますと、だんだんと被災地現場の必要も、その時その時で大きく違ってきます。その「現場の必要」と、「支援する側」、「間接的にそれをサポートする側」のギャップが、時間差とともに顕著なってきます。そのギャップを埋めるためには、まめに避難所、仮設住宅などを訪問する必要があります。

※神戸からの支援物資の靴。早く日常の生活に戻りたい思いが、被災された方々の共通の願い。道路を塞いでいた漁船がやっと解体

私どもの教会に、全国の教会からボランティア・チームが派遣されて来ています。結果、私たちの教会は、さながら『ミニ・ボランティア・センター』の役割を担わせていただき、支援物資とともに人的なリソースを生かして、医療相談、看護相談、介護相談と、人のごく当たり前の生活水準に必要となるものを提供し続けて参りました。今もそのような必要に応えることを中心とした支援活動を継続しております。

※ボランティア看護師による看護訪問。仮設住宅のお年寄りには心強い味方。インターネットを敷設し、遠隔の医師と医療相談も

東日本大震災からの復興には、おそらく十年単位で考えていかなければならないことでしょう。仮設住宅に入居された方々は、本当の意味での試練が始まったばかりと言えます。仮設住宅での『仮の生活』が、どれほどの精神的な圧迫となっているかは、戸別訪問していて人々の実際的な様子を直接見て、そこではじめて人々の生活環境の実態を知り、なにが本当に必要とされているのかを聞き取れます。

行政は、仮設に入居した時点で、一応の支援は完結したと考えています。また、個別の必要にすべて応えることのできない自治体の現実もあります。人間関係の希薄さが浮き彫りにされ、まとまることの難しい地域・自治会が立てあげられない所も、まだまだあります。このような助けを必要としている人々に、「決して忘れられてはいない」という希望のメッセージが、私ども「いしのみなと教会」の働きを通して、神様から与えられていくことを、切に願っております。この支援活動が前進し続けるために、なおご支援をよろしくお願いいたします。

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七郷中央公園仮設住宅への支援

9月の終わりに東北ヘルプを通じて支援活動をしているボランティアの方から七郷中央公園仮設住宅で「物資支援の要請がある」との連絡がありましたので、早速出かけていき詳細を聞きました。
この仮設の構成は荒浜・荒井・遠見塚・蒲生・岩切・六郷など方々から集まり、54棟に47世帯・112人が居住しております。7月の初めから入居が始まりもう少し増える予定です。一人暮らしやお年寄りが多く、津波で家を流された方や住居の一部が浸水し住めない状態でいる方などがおり、国の方針も決まらず、将来への様々な不安を抱えながら居住しています。仮設住宅の部屋は狭くその窮屈な中での暮らしに加え外へ出ることも少なく、住民同士の近所づきあいもまだ十分に図られておらず、人と話をしないで孤立していることが心配されていました。

9月に入りようやく自治会が出来、体制を整えこれから少しずつイベントなどをして交流する機会を増やしていこうとしていました。10月10日には仙台キリスト福音教会の西村牧師に協力を得て芋煮会を企画していましたが、大きい鍋が手配できなく思案しておられました。そこに、私たちの協力団体が提供できる旨を伝え、私たちの支援が始まったのです。結果、当初3〜40人の参加との見方で企画されていた芋煮会でしたが、「70人程の参加で盛況に行われました」と、後日、感謝していただくことができました。
その後、支援要請を纏めて頂きました。その結果、①お茶会などを企画したいのでパソコン・プリンター・ラミネート・ポット・コーヒーメーカー・お菓子・お茶・マットレスが手配できれば、②「お知らせ・ポスター・チラシ」などを自分達で作り、コミュニティーの立ち上げに役立てたい、ということを要請くださいました。更に、その他要望として、「カラオケ」や「寒さ対策のつんぬぎ・どんぶく(綿入れ半纏)」などが出されました。東北ヘルプは理事会で審議し、「私たちとしては被災された方の支援者を更に後ろから支援し、自治会機能の手助けをする役割を担っていければと願っております。商品を精査し理事会に諮って支援要請にお答えしたいと思います」と結論付け、お伝えをしました。その結果、今回お届けしたのはパソコン関連・お菓子・お茶・マットレスとなりました。「カラオケ」は、共同体の中でどう活用するのかを詰めていただく必要があること、また、「つんぬぎ・どんぶく」は寒さ対策には必須と考えられますが、コミュニケーションを図るものとしては外れていることを考慮し、今後の検討課題とさせていただきました。しかし、これからのシーズンを考えると、防寒対策は重要ではないかと考え、協力団体である「日本基督教団 長田支援センター」様にご相談申し上げたところ、支援して頂ける見通しとなりました。
七郷中央公園仮設住宅への支援は、このようにして始まりました。今後、支援物資がどのように役立てられているのか、これからもお付き合いをさせて頂きながら、皆様にご報告していきたいと思います。

(2011年10月24日 戸枝正輝 記)

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宗教の公共性を目指して

キリスト教徒・牧師を含む宗教者は、今、公共的な役割を担っているだろうか――その問を、被災地にいると、強く感じさせられます。行政も司法もNGOも、皆、担うべき公共的役割を、必死で担っています。果たして、宗教は、どうだろうか。

公共的な役割を担うためには、諸宗教間の協力が必須です。それなしには、どんな良心的な公益事業であっても、どうしても「一利益団体の活動」と見做されてしまうからです。

宗教に求められている公共的役割を果たすための試みが、先週、三つ、行われました。

松緑神道大和山の青年部理事長様と、福音派の牧師と、そして東北ヘルプのスタッフとで、会議が持たれました。それは、津波に浚われた巨大な被害地を前に必死に踏みとどまっている農民への支援をどうするか、という会議でした。しかしそれは、工業化・企業化した現代の農業のあり方を根本からとらえ返そうとする深い議論となりました。

また、曹洞宗と天台宗のご僧侶と法律家と東北ヘルプのスタッフとで、会議が持たれました。震災孤児・遺児へのケアをどうするか、具体的な可能性を求めての会議でした。その会議は一つの結論を生みだし、早速教会関係者に連絡が為され、新しいプロジェクトが立ち上がりつつあります。

そして、浄土真宗大谷派のご僧侶と福音派の実業家と東北ヘルプのスタッフとで、会議が持たれました。それは、人口流出が止まらない地域の町おこしのプロジェクトでした。役割分担が決められ、大きなプロジェクトの事務局が動き始めたのでした。

以上のプロジェクトは、まだ始まったばかりです。今後、きっと、その展開を報告する機会があることでしょう。大切なことは、こうしたプロジェクトの背景に、諸宗教間協力を促進させる雰囲気がある、ということです。確かに、宮城県には、そうした雰囲気が豊かにあります。その豊かさの背景には、一つの団体があります。それは、「宮城県宗教法人連絡協議会」という団体です。

「宮城県宗教法人連絡協議会」は、宮城県下2050の宗教法人が加盟している団体です。発足は、1972年。カトリック教会仙台市教区様と、日本基督教団東北教区宮城中地区様が、キリスト教代表として、発足当初から参画しています。

この協議会は、毎年「法人研修会」を企画実行しています。昨年度・今年度と、日本キリスト教団がその役を担いました。今年は、先週の19日に、法人研修会が行われました。震災の為に、今年は、会場が確保できませんでした。そこで、立正佼成会仙台教会様が、会場を提供してくださいました。

研修会の中心は、講演を頂くことにあります。昨年度は、大野浩悦 仙台YMCA総主事から「公益法人制度改革」についての講演を頂き、宗教法人の公共的役割と責任について学びました。そして、今年度は、東北ヘルプが立ち上げから関わり続けています「心の相談室」から、講師が派遣されました。

この研修会では、「宗教者による平和の祈り」も実施されることになっています。宗教者が、各宗教団体の壁を越えて一つになって祈る、という催物です。昨年度から、始まりました。昨年度は、仙台キリスト教連合に、その司式をお願いしました。今年は、「心の相談室」が、この式の進行も担当することになりました。

今年の研修会の様子は次のようなものでした。

まず最初に、「宗教者による平和の祈り」が行われます。その趣旨を、主催者は以下のように発表しました。

趣旨説明:

私ども「宮城県宗教法人連絡協議会」は、1958年に始まった「仙台宗教団体協議会」を継承発展して、1972年に発足しました。母体である「仙台宗教団体協議会」は、ひとつの理念を掲げていました。それは以下のようなものです。

仙塩地区の各宗教団体を以って組織し
共同の広場を持ち互いに連絡を緊密にし、
かつ世界平和を希求しつつ
正常な宗教活動を促進することを目的とする。

この理念の実現を目指して、宮城県宗教法人連絡協議会は、年に一度、仙台での講演会を開催し、また、各宗教の本山を巡る研修旅行を行って参りました。
そして、特に、上記「世界平和を希求する」という理念の実現を目指して、昨年度から、「宗教者による平和の祈り」を実行することとなりました。私ども日本基督教団東北教区が、その担当となりました。本日、諸宗教の皆さまと共に、平和と平安を祈る会を、ここに開催いたします次第です。
昨年度は、キリスト教式で行わせていただきました。今年度、私どもは、祈りつつ、「心の相談室」様にご協力を要請しました。「心の相談室」様は、このたびの大震災を受けて、御弔いを受けられないご遺体のために弔いの業を行い、また、大切な人を失った悲しみに寄り添うことを目指して、宮城県宗教法人連絡協議会と世界宗教者平和会議の後援をうけて活動を続けている団体です。「心の相談室」様は、私どもの要請を快諾してくださり、理事で僧侶の金田諦応先生が、祈りへの導師としてとして立てられました。また、震災の影響の為に会場が確保できない中で、立正佼成会仙台教会様が、本日の会場をお貸しくださいました。「心の相談室」様と仙台教会様に心からの感謝を覚え、本年度は、仏教式での祈りとさせていただきました次第です。
今、震災から半年を経て、被災地は分裂と分断の中にあります。自立を目指して試みられる一つ一つの努力は、否応なく、私たちの間に格差を生みだして行きます。そのことを止めることは、できないかもしれません。しかし、宗教は、祈ることができる。共に、この時、祈りを合わせ、被災地に平和と平安の溢れることを、ご一緒に願いたいと存じます。

宮城県宗教法人連絡協議会
法人研修部

趣旨説明の後、「心の相談室」理事で、通大寺住職 金田諦応師がスライドを用い、被災地の様子を語ってくださいました。宮城県内から集まった諸宗教の皆さまが、心を一つにして、震災の痛みを想起することができました。

それから、鐘が鳴ります。日本基督教団東北教区センターが所蔵していた鐘が鳴り、その余韻の消えるまで、宗教者が、それぞれの仕方に従って、沈黙の祈りをしました。

その後、会場を提供してくださった立正佼成会仙台教会の教会長 渡辺先生が、宗教者を代表して祈り、「宗教者による平和の祈り」は終了しました。

それから、講演に移ります。その趣旨説明は、以下のように語られました。

本年度の特別講演の企画趣旨を申し上げます。

本年、2011年は、大震災によって、特別な年となりました。そのことを覚え、今年度の研修会の講演は、「心の相談室」室長・岡部先生にお願いいたしました。
「心の相談室」は、震災後すぐの、4月に始まりました。徐々に稼働を始めた仙台市の火葬場において、弔われることもなく火葬されるご遺体の痛ましさに心を痛められたご僧侶が、読経のボランティアを始められたことが、その最初です。仙台市仏教会様が、その志を支えておられました。同時期、仙台キリスト教連合が、同じ思いを以て活動を始めました。震災によっていのちを落とされた方々の尊厳を守ろうとする思いは、合流しました。そして、宮城県宗教法人連絡協議会を主催者として、「心の相談室」という名前を与えられ、宗教者による被災支援が始まったのでした。
それは4月いっぱい続けられました。その間、各界の方々の協力を得ることができました。そして5月、この活動の永続化を目指し、「心の相談室」は宗教者有志の会として衣替えをし、今日に至ります。医療者である岡部先生が代表者となり、宮城県宗教法人連絡協議会は後援団体となりました。既に皆様にお知らせいたしました通りです。
一昨年度、私たちは、大村哲夫先生をお迎えして、「自宅で死を迎えること――在宅ホスピスの現場から」と題した講演を頂きました。そこでは、あと20年後に、年間死亡者数が今よりも70万人増加する、ということが語られました。間もなく、死者が溢れる時代がやってくる。医療者にとって、病院にとって、この問題は深刻な課題です。岡部先生は、この問題に20年も前から取り組んでこられました。
そして、震災がありました。悲しいことに、私たちの身の周りは、死者で溢れました。宗教者に、大きな役割が求められました。
「心の相談室」は、そうした背景の中で生まれました。そして、岡部先生が、その代表者となられたのでした。この岡部先生に、私たちは御講演をお願いしたいと願いました。それは、昨年度に引き続き、「宗教の公共性」ということを考える良い刺激を頂けるものと期待してのことでした。
昨年度、私たちは、宗教者の公共的役割について、公益法人という面から御講演を頂きました。それは、制度・組織から見た「宗教の公共性」という問題を学ぶ機会となりました。今年度、震災後の宮城県で、もう一度、別の角度から「宗教の公共性」を考える機会を得られるものと存じます。

以上、本年度の特別講演の企画趣旨を申し上げました。

宮城県宗教法人連絡協議会 研修部

そして、「心の相談室」室長の岡部先生が講演されました。岡部先生は、医療者としての立場から、臨終の現場に宗教者が出てこられない現状を指摘されます。その原因は、医療側にも、宗教側にも、ある。その壁を乗り越えるために、「臨床宗教家」のようなライセンスを出す必要があるのではないか。そうした提案を、岡部先生がお出しになりますと、会場は拍手で賛同の意向を示してくださいました。

日本基督教団東北教区宮城中地区様の活動に、私たち東北ヘルプが関わっている「心の相談室」が重なり、諸宗教間の協働事業へのビジョンを広く共有する機会が得られたことは、大きな喜びでした。皆様のご支援によって、こうした活動が展開されています。それは、宗教の公共的役割の実践へと繋がっています。改めて、ご支援くださる皆様に感謝を申し上げる次第です。

(2011年10月23日 川上直哉 記)

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「ライフサポート 響」と共に

東北ヘルプは、小さな事務局です。小さいのですが、多くの被災支援の現場の皆さまに繋がることができています。多くの皆様の義援金をお預かりしている私たちは、被災支援の現場の皆さまをお支えする役割を担いたいと願っています。その一つとして、「ライフサポート 響」様とご一緒に活動を始めました。以下に、「ライフサポート 響」様の紹介をいたします。

(2011年10月18日 川上直哉 記)

ライフワークサポート 響もお仲間に!!

はじめまして!!
「ライフワークサポート 響」の支援相談員 阿部泰幸です
震災後の3月16日からブログを通して被災地の現状を全国に発信してまいりました。

特に、3月28日から、被災児の学用品支援のお願いを全国に発信いたしました
そして同月30日、「ブログで始まる支援の絆!プロジェクト」を打ち出し、
私のブログをご覧いただいた方にプロジェクトの拡散をお願いし
「ブログでの絆・ブログからの絆」を結びみんなでの支援を呼び掛けてきました
学用品の支援は6ケ月間続き、時間の経過とともに支援の内容も変化してきています


  • 多賀城市文化会館 配布会

  • 多賀城市文化会館 配布会

  • 気仙沼市階上避難所 配布会

  • 気仙沼市階上避難所 配布会

  • 気仙沼高校・気仙沼西・ 向洋高校の被災した生徒さんへ
    大学ノート5000冊の支援

ここで、「ライフワークサポート 響」の支援の理念をご紹介します。
私たちは「絆」を大事にし、
単なる物資の配布ではなく全国からの支援者の思いを被災者に伝え
お互いが元気になる事を目指しています

私たちの方法は、次の一言で纏められます。
「配布は一つ一つ言葉を交わし手渡しで!!」。
――この方法では、時間はかかります。しかし、確実にコミニュケーションが取ることができるのです。これまで、この方法で被災者さんの生活の実態を聞き取ることもできました

大事なのは、その支援の先にあります。
つまり、「言葉を交わし手渡し出行う配布」を切っ掛けにして、
被災者さんの「困った」という声を聞き取り、
問題を抽出し、次の支援に結び付けること、です。

気仙沼市本吉町小泉地区:震災後初の床屋さん再開!!(ハサミがあれば出来るのに!!の一言から支援をスタート)


  • 畑の一角を借りて親子でスタート

  • 仮設でも十分やる気が一番!!

  • 多くが全国から寄せられた 支援物資です
    私の娘(中一)と支援に!!

  • 4・18河北新聞で 紹介されました

  • 5・30 河北新聞で 紹介されました

被災者さんの隣に寄り添い一つでも多くの現実を教えていただく。
これには長い時間とかかわりが必要でした。
被災者さんの周りには、あまりにも「建前」が多く、簡単には、「本音」が聞けないのです。
「がんばれニッポン!!」という掛け声が、たくさん聞かれます。
これが、違った形の頑張りに、なってしまっていた。
「自分たちより大変な人が沢山いるんだから」と助けを求めることを我慢し、
苦しい生活を続ける事を頑張ってきた人たちが沢山いるのです。

6か月の被災児の学用品支援を続ける中、各家庭の問題を聞いたり行政とのすれ違いや解釈の違いから、崖っぷちの生活に追いやられている被災家族もたくさんいました。

この支援の中で宮城県2つの町で車中生活者の方々とも出会う事が出来ました。
震災後、車中生活を続ける方々を、私は23件も見て来たのです。

震災後3カ月が過ぎ車中で老々介護を続ける被災者さんがいました。
避難所内で周囲に迷惑をかけるからと、
避難所を飛び出した半身不随の被災者さんがいました。
驚きとやる場のない心の動きが入り乱れ一時放心状態になってしまいました。

被災者さんそれぞれの理由があります。


車中生活者問題にも取り組んでいます(9.5河北新聞 一面)


  • 気仙沼市内で第一発見
    (支援は車中泊者とのコミニュケーションから始まります)

  • 気仙沼市内で第一発見
    (支援は車中泊者とのコミニュケーションから始まります)

個々の理由に対応しきれない支援者の間に入り、対応をさせていただきました。
3カ月にも及ぶ活動は、個々の状況に応じて行政とのやり取りへと進みました。
その結果、今、全員無事に安全安心な居住地を手に入れる事が出来ました

この震災で苦しい人生を送るはめになった多くの被災者さんは、この国のセーフティーネット(避難所・仮設住宅の利用、支援制度の活用)に守られることになりましたが、残念ながらすべての被災者さんが守られたわけではありません

セーフティーネットから漏れた人たち(在宅避難者他)が発災から6カ月がたった今、危機的状況に置かれていますここからが「真の支援」と考えています


  • 東松島市 宮戸縄文村 配布前 (搬送はレンタカーのトラックです)

  • スタッフも一緒に鉛筆探し (2000本広げました) 大人も子供に戻ってました)

  • 気仙沼小泉中学校避難所

  • スタッフと行儀よくお話し中です

  • 気仙沼東新庄 在宅避難者配布会

  • 亘理町 在宅避難者向け配布会

多くの支援団体が「被災者の自立」を訴え支援物資配布の停止・ボランティアの縮小を実施しています。聖書には「99匹の羊と1匹の迷い出た羊」の譬え話があります。神様は、一匹の迷い出た羊を大切にするそうです。それとは反対に、今被災地では、99人の生活環境だけをケアし、そこから漏れている1人の困窮者の命が見逃されています。

「ライフワークサポート 響」は取り残された1人の命を支援していくことを目指し、支援の方向性を被災児から被災者へ変えました。その一つが車中生活者の救助活動であり、個々の問題を抱えた生活に困窮した被災者の支援です。

勿論、仮設住宅内でもいまだコニュニケーションの構築されていない所もありますし、十分な生活環境の整っていない所もありますから、継続して支援は続けていきます。仮設住宅内からもたくさんの情報を手に入れる事が出来ます。仮設住宅への支援も、欠かすことができません。

まだまだ支援の手は必要です。震災後6カ月が経過した今でも、救助を必要としている人たちが沢山いる事を忘れないでください。

今回はライフワークサポート 響の支援について書かせていただきました。次回は実際の支援活動のご報告をさせていただければと考えております。

私どもの支援活動に、皆様のご理解とご協力を頂けます事をお願いいたします

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仮説住宅入居者・自立支援活動

東北ヘルプでは荒井地区仮設住宅にて活動資金を提供し、パートナーの黒須アドボカシーの協力を得て、教 育サポートや宅地内の巡回警備、今後予定している夕食の提供など、自立支援活動を行っております。

  • 子供教育サポート
    専任スタッフを雇用し勉強する環境や学習習慣を失った子供達に安心して学べる場を提供し、より勉強に集 中でき、学習習慣を取り戻すための支援をボランティアの教育実習生と共に行っております。それにより、 子供達の横のつながりや、保護者が安心して働けるなど、仮設住宅のよりよい生活環境づくりに貢献してお ります。
    実施は毎週、火曜日と水曜日18:00~20:00に行っています。
  • 仮設住宅地敷地内の巡回警備 宅地内の治安維持や外部からの悪質な不法侵入を防ぎ、安心して暮らせる環境をつくっています。 実施は毎週1回、21:00~22:00
  • 夕食援助サポート 食事の準備をすることが困難な方や、支援が必要な高齢者の方に、栄養士をお招きし栄養バランスのとれた 食事を提供することを予定しています。

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仮設住宅への支援

私たち東北ヘルプは、この秋まで、実験的に仮設住宅への直接支援を行ってきました。その経験から、多くを学び、また、ささやかなりとも、被災者の皆様の歩みに伴走することができました。皆さまの御支援と、そして神様のお支えの賜物と、感謝しています。

夏の2カ月間、私たちが取り組んだ支援の様子を、以下に纏めました。ご高覧頂ければ幸いです。

秋からは、新しい支援団体「若林ヘルプ」が立ち上がり、私たちの活動を引き継いで下さいます。私たち東北ヘルプは、この新しい団体の立ち上げを支援しました。今後もこの団体への支援を通じて、仮設住宅への支援を継続し、その様子をご報告いたします。どうぞ、引き続きお覚えくださればと願います。

(2011年10月14日 川上直哉記)

活動報告

8月3日

宮城教育大学の学生ボランティアの佐藤さんと藤原さんが荒井地区の子供達に学習サポートをしてくれました。子供達は10数名の参加です。小学生の低学年では集中力がない子供もおりましたが、家ではなかなか宿題を広げられない環境の子供もおり、学生ボランティアのサポートも手伝って、ここではしっかり取り組んでいました。親御さんからは、「お友達と触れ合いながら学ぶことも大事だと思う」と言われました。

8月8日

震災の影響で取り壊し予定だった、JR南小泉アパートに行ってきました。約80世帯の入居がありましたが、最上階の5階部分には入居者はなく、階段や通路をみるとかなり劣化している状態でした。花壇はほとんど手がかけられておらず、ポストなども結構年期の入ったものでした。集会場の設備はまだ十分に整っておらず、自治会長宅で会合が開かれています。このアパートには2棟あり、間の公園はとても手入れのいいスペースでした。

8月9日

宮城教育大学の学生ボランティアの佐藤さんと藤原さんが中心となり学習サポートをしてくださいました。今日は10数名の参加で、いつもは女子が多いのですが、七郷中学校の男子も参加し充実した学習活動ができました。前回は小学低学年組が集中力がない子もいましたので、机の配置を変え、ホワイトボードを前に並べてみました。学習の途中に白百合女子大学の学長が訪ねられ、参加者とふれあいながら視察をされていました。また、山梨県小渕沢小学校から励ましのお手紙や寄せ書きをいただきましたので、勉強の合間を利用して感謝のお返事を書きました。

8月16日

夕方から住民の手で櫓を組み建てて盆踊り大会が開催され
ました。ヘルプの支援のパラソルとテーブル、いすのセットも完成。いすとテーブルは貴田防犯部長にご協力いただき作りました。
小野副区長の挨拶から始まり、歌に太鼓に踊りと盛り上がりました。でも子供たちは、あまり盆踊りには参加しませんでした。ブースには焼き鳥、ビール、ラムネなどが用意され、有料にもかかわらず大盛況でした。

8月17日

今日は、私の後輩の社会人ボランティアの藤島さんがお手 伝いに来てくれました。母の会やテレビの企画の取材申し込みの対応などで忙しくバタバタしており、とても助かりました。
でも来週からは今までお手伝いいただいた。宮教大の藤原さんが教育実習で1ヶ月来られません。
また、同じ仮設内で毎週木曜日に学習サポートをしているNPOアスイクさんが連携の要請があり、見学に来られました。

8月18日

JR南小泉APで大久保会長と打合せ、9/10(土)にビールパーティー開催決定。JR南小泉APと借上げアパートの連絡先がわかる範囲で声がけをし開催します。当ヘルプでも飲料水、焼き鳥の提供をします。その他、食べ物は各家庭から持ち寄ります。会長からはテント2基の要請がありましたが検討中です。

8月22日

今日は東北放送テレビ『サンドのぼんやり~ぬTV』の震災復興企画として被災された子どもたちと一緒に残り少ない夏を楽しもうという趣旨で「カブトムシを採取勝負」という企画が行われました。のびのび学習会の生徒が8名参加し、当スタッフが付き添いました。
あいにく天気は雨模様、急遽、カレー作りに変更!カブトムシ採取を楽しみにしていただけに子どもたちのテンションも低め↓でも、みんな緊張しながらもがんばって作り、最後は出来上がったカレーをおいしく食べました。和久井アナもウォッチンが終わってから、きました!放送は9/6(火)0:05~0:35

8月24日

今日の教育サポートには20数名の参加がありました。今日で最後の夏休み皆さん宿題は完了、でも中学生は間近で必死。お隣では9/4のお祭りの打合せ、スタッフはみんなバタバタして忙しそうにしていました。
サプライズでTBSのロケ班がきました。先日のロケが雨で予定していたカブトムシが取れなかったのでクワガタをプレゼントしてくださいました。みんな興味津々で大喜びでした。後半は小さい子がにぎやかになり、高学年の子が怒ってしまいました。


8月26日

講師に精神科医の小林和先生をお迎えしナザレン教会で『災害と心のケア』についての講話私たち、ボランティアの心のケアについてのお話を伺いました。阪神・淡路大震災でのボランティア活動を主宰されていたためとても貴重なお話を伺えました。参加された方で、間近で津波を体験し自宅前に遺体が置かれていた状況下におり現在もお子様と通院されていることから熱心に質問されておりました。その後、時間が許す範囲で被災地を視察。ボランティアでい らっしゃった学術博士の石井先生には遅くまで私たちの活動にご協力をいただきました。

8月27日

ALTの皆様で英会話教室『バタフライキッズ』開催たくさんの先生が来ていただきとても贅沢に学びました。遠くからママたちも見学。最初は緊張気味だった子どもたちもゲーム感覚のスクールに自然と入り込んでいました。
そして折り紙でelephant象を折ったり、名札を作ったり、歌を歌ったりしました。さらにGLASSROOTS様から素敵な食器をいただきました。ひとつひとつにメッセージがあり心がこもったものです。料理教室や子どもたちの学習サポートの際にも是非使わせていただきます。ママたちからも好評で本当に素敵なものをプレゼントされみんな感謝していました。


8月29日

JR南小泉アパート(借り上げアパート)で、9月10日にお行われる自治会主催のビアパーティで使用する援助物資をお届けし、当団体2名とJR南小泉アパート自治会長の大久保さんや自治会の皆様と一緒に搬入作業を行いました。当団体が支援した物資は「透明ビニール(掲示板用)4枚錠3台バーベキューコンロ2台炭3箱トングセット2個」でした。それと、共用倉庫の施錠及び掲示板が雨ざらしになっているため、それを覆うビニールの要請を受けました。また、奈良県で手作り絵本工房をされている「きゃべる」の成志様より、荒井小学校用地仮設住宅の子供達に、本人が出演する絵本をプレゼントしたいと申し出がありました。できたら親御さんのメッセージをつけた形にしたいとのことでした。

8月30日

JR南小泉アパート(借り上げアパート)の大久保自治会長と広場に設置するテーブルと椅子の材料を買いに行きました。搬入作業は市職員の方と一緒に行いました。当団体が提供した援助物資テーブルと椅子を作成するための木材や材料3基分ブルーシート(9/2ビアパーティで使用)4枚養生テープ夕方より、荒井小学校用地仮設住宅で学習サポートをしました。9月からは30分短縮して18:00~19:30で開催になりますので、9月の予定表を皆さんに配布しました。小学低学年の子供たちの集中力が持たないため、30分短縮で試行。親御さんのご意見を聞き取りしながら進めていきます。

仙台等では、次第に「復旧・復興」が進んでいる状況にあります。
目の前に「がれき」がなくなりますと、次第に、被災の記憶が薄れるような気がします。

もちろん、時の流れに苦しみの記憶が薄らぐことは、天からの恵み、なのかもしれません。
しかし、まだまだ深刻な被災状況の中にすむ人々のことを、私たちは忘れてしまっていはいけないと思います。

被災の深刻な町の一つに、気仙沼市があります。
その中心部で働きを続けておられる、キングスガーデンの森施設長様が、これまでと今の様子を、文章にまとめて下さいました。
ご許可を頂き、以下に転載いたします。
共に、思いを一つに祈ることができればと、願います。
(10月8日 川上直哉 記)

社会福祉法人 キングス・ガーデン宮城
東日本大震災報告

2011年06月23日 作成
2011年10月06日 修正

人間の苦しみや絶望に直面する社会福祉や医療の事業を、15年間担ってきた当法人ではあるが、今回の東日本大震災は、役職員の家族や関係者に、多くの犠牲者と甚大な被害をもたらし、「悲しみや落胆」と表現する言葉だけでは、伝わらない、歴史的な大震災の被災者としての、懸命な取り組みを強いられている。

大震災の後、余震が続くなか、また、時折、季節はずれの吹雪を見ながら、関係者の安否情報を集め、連絡不通と移動困難、生活の不便さの中での行動、不安に落とし込まれそうな情報、ラジオから聞こえる東日本全体の被害状況、そして、福島第一原発の事故などを聞きながらの日々を過ごした。

震災直後、ケアハウス(市内岩月星谷)と特養キングス・タウン(市内三日町)は避難所になった。高齢者や地域住民(ケアハウスは幼稚園生も)を職員は必死で守った。高齢者の低体温と低栄養と睡眠などに留意し、自分の家族等の安否を懸念しながらも、寝泊りし、ある職員は十数キロも歩いて通勤した。

38日間、避難所となった特養キングス・タウンでは、前の道路を徒歩で行きかう知人や友人を捕まえ、人々や地域の情報を入手した。その際、職員だけでなく、キングス・タウンに避難していた理事や評議員家族が情報入手の聞き込みに加わった。また他の理事や評議員たちが、毎日のように、貴重な情報をもたらしてくださった。

当法人としての被災状況は、職員1名が未だに安否不明(親も子も行方不明なので、発見されてもDNA鑑定が難しい)、家族や親族にも多くの犠牲者が出た。(配偶者1名、子女3名、親3名、兄弟2名)職員の住居被災は27名、職員自家用車19台、事業用車両も7台が流失した。

また、佐藤春子理事長および菅原雅副理事長をはじめ、役員の半数以上が、住居や経営事業などに、非常に大きな損失を被った。山崎正信法人本部長や佐藤由美子事務長の住居も被災した。

法人の通所系および訪問系サービスの事業収入も打撃を受けた。(3月から8月までの6か月で、約4000万円以上の事業収入減となった。)

ライフラインも断たれ、電話回線なども遮断され、安否確認について、施設利用者の家族等に大きな不安を与えてしまった。ケアハウスは、特に周辺エリアが広い範囲で被災したので、通信遮断状態は、長期にわたった。

法人関係の建物被害では、ケアハウスと特養の第1種社会福祉施設は、大きな被災を免れ(ケアハウスでは配管からの漏水があったが)、相当期間、地域の避難所となった。

特に、キングス・タウンは中心市街地にあり、市役所も近く、行き交う人々も多かったので、法人関係者や沿岸部の壊滅した商工会議所や水産加工関係者などの「励まし合いと復興協議」のための寄り合いの場となり、いつ来ても、温かい飲み物と食事を手に取りながら、ほぼ毎日のように、復旧・復興の懇談が続けられた。夜間になると、日中、避難所での安否確認や遺体安置所、被災したエリアなどを歩いてきた方々からの「ナマ情報」で、一喜一憂し、情報交換と復興再建協議が続けられた。地域の方々に支えられ、復興の勇気が与えられていく、そのプロセスは、NHKテレビでも放映された。また、流失した訪問看護ステーションの働きの、懸命な仕事ぶりがテレビで紹介された。

全国からの救援物資なども、私たちを励ました。特に、建設会社、水産冷蔵会社、キリスト教系の世界的な救援団体(クラッシュ・ジャパン、世界飢餓対策機構、カリタス・ジャパン、アガペーCGNなど)、介護や障害者の支援団体などから、物資が届き、避難所でありつつ、他の避難所への物資の中継基地ともなった。他にも、大勢の救援団体や個人から、支援物資が届いた。キングス・ガーデン三重や群馬のナーシングホーム白井城関係者は遠路、物資(ベッドや食料など)を運んでくださった。

4月中旬には、日本キングス・ガーデン連合の泉田昭会長以下4名が義援金を携えて気仙沼に入り、被災地の状況を視察し、全国のキングス・ガーデン関係者に情報発信した。9月に開催された、キングス・ガーデン連合の第20回研修会でも、気仙沼の様子を報告することができた。

2つの拠点施設(ケアハウスと特養)は、難を免れたが、法人が経営する6つの事業所は、大きな損失や影響を受けた。被災場所は地盤沈下しており、同じ場所での復旧ができず、新たな土地取得が課題となっている。

  1. ①訪問看護ステーション(市内仲町)はエリア一帯が被災し、完全に建物ごと流失消滅し、キングス・タウンに事務所を仮移転した。高価な医療器材も流失した。訪問看護師たちは、震災直後から、避難所において、ボランティアとして従事し、また全国からの救援医療チームとともに、3月中から活動を再開した。その活躍ぶりは何度もマスコミで取り上げられた。復旧の事務所建築費は数千万円。
  2. ②高齢者グループホーム(市内岩月星谷)は、エリア一帯が被災し、建物の位置が若干移動し、ガレキが流入し、家財等を含めて、使用不可能となった。入居者は避難先の、ケアハウス一階の展示室(独立している空間)での生活が続いた。7月中旬には、仮設の施設に移動した。復旧の建築費5500万円。
  3. ③障害者の就労継続支援B型事業の幸町ブランチ(市内幸町)は、エリア一帯が被災し、2階天井までガレキが流入し、使用不可能となった。直前に、精神障害者家族会への県からの補助として整備した家具やテレビも、使用不可能となった。利用者の半数近くが、避難所での生活を強いられた。今では、仮設住宅や賃貸アパートから通所してくる利用者がいる。4月から、特養の小会議室で、通所事業を再開している。利用者の大部分が精神障害者である。復旧の建築費5000万円。
  4. ④開設目前の、仲町ブランチは、賃貸物件をリフォームして、幸町ブランチのサテライトとして、障害者の就労継続支援に供する予定であったが、使用不可能となった。エリア一帯が被災し、事業中止となった。400万円を投じたリフォームも、台無しとなった。実質上、賃貸契約は無効となった。外壁上部の真新しいサイン看板だけが輝いている。
  5. ⑤新築中(4月末竣工予定)の「階上ブランチ」(市内長磯船原)は、津波の難は免れたが、地震により、建物に小さな被害を受け、建築費の支払金額(500万円程度増額)に影響が出た。天災の場合は、発注者側が負担することも、初めて知った。この施設は、7月15日から事業を開始し、1階はデイサービスセンター、2階には仮設のグループホームが移転した。デイサービスには20人中、仮設からの利用者は7名である。
  6. ⑥中心市街地空き店舗活用のデイサービス、三日町ブランチ(市内三日町)は、建物は被災しなかったが、被災した特養ホーム嘱託医の事務所兼住居として提供しているので、事業休止状態である。嘱託医は、現在、診療所を新築中である。

気仙沼市内の介護保険事業所の被災状況は、約8割が被災し、特別養護老人ホーム(定員50名)が1箇所流失、老人保健施設(定員100名)も1箇所流失(73名の利用者が死亡)、ケアハウス1箇所(定員30名)が流失(行き場がなく、大部分が自宅等へ戻される)、高齢者グループホームは、7ユニット(定員にして、63名分)が流失した。訪問系・通所系の事業所被災も甚大であった。

障害者関係の事業所も被害が大きく、児童デイサービスは2箇所とも流失、障害者グループホームは4施設流失、地域活動支援センターは1箇所流失、年度末であったので、3箇所の建設中の事業所も流失した。

気仙沼市は、10月4日現在、死亡者1027名、行方不明者380名、避難者141名となっている。(震災直後、避難者は約1万9000人)

マスコミなどでは、一切、報じられていない遺体を目にし、また、身近な方が、心労などで震災後、急死した情報を聞くと、「もしかしたら、自分も倒れるかも知れない」と思うほど、疲れきった心身を鼓舞し、懸命に、日常生活を取り戻そうと努力している・・・・・

文責: 特養施設長 森 正義

活動報告

他宗教と共に

私たち東北ヘルプ事務局は、「心の相談室」という運動に参加しています。「心の相談室」とは、超宗教の枠組みによる被災支援の試みです。

「心の相談室」は、仙台市仏教会と仙台キリスト教連合の合同事業として、宮城県宗教法人連絡協議会の名の下に、4月に始まったものでした。その最初の目的は、「身元不明者の弔い」と、「行方不明者を探す家族のケア」にありました。

5月から、「心の相談室」は独立しました。東北ヘルプは、その立ち上げ当初から中心になって関わり、現在に至っています。

「心の相談室」の活動は、二つあります。一つは、身元不明者の弔いです。もう一つは、移動傾聴喫茶の開催です。今日は、移動傾聴喫茶の活動をご紹介します。

「Café de Monk」という名前で、移動傾聴喫茶を行っています。これは、避難所や仮説住宅におられる被災者の皆さんに、美味しいケーキとお茶を用意してお伺いし、ひと時、ゆっくりとした時間を過ごしていただくというものです。

先週水曜日、仙台市内の仮設住宅で、「Café de Monk」が開催されました。私たち東北ヘルプが企画し、仙台市内のキリスト教徒のNGOである「世界食料フォーラム・仙台」の皆様がボランティアで参加してくださいました。更に、仮設住宅に入っておられる皆様がもともとお住まいになっていた地域の御寺から、ご住職夫人(お寺の言葉では「お大黒様」と呼ぶそうです)が参加して下さり、また、「心の相談室」の中心メンバーである通大寺住職・金田諦応師とそのお仲間の皆さまが、お茶とお菓子を用意してくださいました。

仮設住宅の問題は、高齢化と孤立化です。今回被災された皆様の多くは、3世帯同居で暮らしていました。被災され、避難所へ、そして仮設住宅へと移動する中で、若い世帯の多くは、アパートなどに転居して行かれました。そうして、仮設住宅には、高齢の方々が孤立しがちな環境に置かれるということになります。その皆様を、孤立させないために、「檀家ネットワーク」での声掛けをする。それが、今回の「Café de Monk」の企画でした。

有り難いことに、本当に多くの方が、参加してくださいました。おそらく、開催時に仮設住宅におられた方のほとんどが、参加してくださったものと思います。

途中から、お大黒様だけでなく、ご住職も仮設においでくださいました。そのことは、仮設の方々を本当に勇気づけたようです。

また、せっかくだからと、「法話」をしてほしいとのリクエストもきました。すぐに、金田和尚にお願いしました。20名ほどの方が金田師の話に笑い、涙しました。また、牧師の話も聞きたいと言ってくださり、私もキリスト教の話をさせていただきました。

おそらく明治の「廃仏毀釈」以来、私たちの国では、宗教は公共性を剥奪されてしまっています。しかし他方では、「心のケア」の必要が強く訴えられている。ここには、大きな「隙間」が開いています。宗教者は、今、協力してこの「隙間」を埋めなければならないと思います。各宗教間での健全な競争は、その後に、真剣に為されるべきでしょう、今、被災地では、「心の相談室」を中心に、諸宗教間協力の実践が行われています。皆様のご支援を頂き、私たち東北ヘルプはこの実践の一端を担わせていただいています。感謝して、ご報告する次第です。

2011年10月2日
川上直哉 記

5月18日 三陸地方教会訪問

5月18日に、被災支援ネットワークで提案させていただいている、 「姉妹教会プロジェクト」のご紹介とご挨拶をさせていただくため、 気仙沼第一聖書バプテスト教会、石巻キリスト教会に伺わせていただきましたので、ご報告させていただきます。

今回は秋山先生(仙台キリスト教連合世話人)、 平島先生(塩釜聖書ともしびチャペル)、 阿部の3名で両教会を訪ねてきました。

三陸道、国道45号線を使い、石巻以北の各地を通過していきましたが、 町の大部分が津波の被害で壊滅し、ライフラインの復旧にもまだまだ時間がかかること。

地域地域で復興の進み方の度合いが違うこと。 仙台とは異なった様相の被害を目の当たりにし、衝撃を受けました。 非常に広い地域で、10年単位での長期的な支援が必要なことを改めて思い知らされました。

これらの地域での支援では、少なくない方が自前でテントを持ち込み、 そこで寝泊りをしながら活動をされていることも拝見しました。 大変なご苦労だと存じますが、そのお心が地域の人たちにどれだけの慰めと勇気を与えているか。 頭が下がる思いです。

1、気仙沼第一聖書バプテスト教会
まず、わたしたちは気仙沼第一聖書バプテスト教会にお邪魔しました。 この日は3時から教会主催のコンサートが市民センターで行われるそうです。 嶺岸先生ご夫妻はお忙しい中を縫って、お会いしてくださいました。

JR最知駅近くの、教会堂のあったところまでご案内くださいました。 海まで50m程の所です。 現在は様々ながれきに囲まれていますが、 元々は美しい海を眺める素晴らしい場所だったのでしょう。 この日も穏やかな海でした。

近くの木材で組み上げた十字架と、朝日新聞にも取り上げられた十字架が置かれています。 会堂の床だけが残されましたが、 「わたしたちは、津波によって『壁のない教会』となりました。 これからは今まで以上に多くの教会と協力して頑張りたい」 と笑顔でおっしゃる嶺岸先生の力強いお姿が印象的でした。

大変な多忙の日々を過ごしておられる先生ご夫妻ですが、 ご健康が守られ、また必要な休息とが与えられますことを心より願っております。 この困難の中を耐え忍びながら、日々の生活をしておられる教会員の皆さまの ご苦労がどうぞ慰められますように。 そして気仙沼の皆さまのために心を一つにして祈りました。

2、石巻キリスト教会
南下して、石巻キリスト教会(キリスト兄弟団)に伺いました。 石巻教会は石巻駅裏からすぐの所。 この地域は津波の被害で1m50cm以上浸水したということです。 多くの人が家財道具を失い、苦労されているということ。 教会も同じく大きな被害を受けました。 伺った日が18日でしたが、近日中に軒下にたまった泥だしが行われる予定だということでした。

石巻教会では、現在不定期に地域の方に物資の提供を行っています。 教会の中でバザーのように物資を広げ、持っていっていただく。 大変好評で、第3回となった前回は300人ほどの人が集まったそうです。 近日中に第4回も行われます。 物資はサマリタンズ・パースと国際飢餓対策機構から提供を受けておられます。

世界各地からの応援のメッセージも届けられています。 1mを超す巨大折鶴もありました。

石巻教会は木造の教会です。 津波の被害によって、建物の木がどれほど傷んでいるか、本格的な調査が必要です。 最悪の場合、数年の間に建て替える必要もある、と伊藤先生が説明してくださいました。 流失、全壊という被害を受けていない建物でも、 再建のためにそれらと変わらない費用が必要となります。 石巻の現状を伺うためにも、継続的な支援が求められていることがわかりました。 困難を乗り切るために、継続的な祈りをお願いします、というメッセージを頂戴しました。

サンピアフェスティバル報告 その2 フェスティバルの風景

フェスティバルはその名のとおり、にぎやかなお祭りです。 食べ物の屋台が並び、子どもも大人も遊べる様々な企画、ステージなどが用意されました。 当初、荒天が心配されましたが、蓋を開けてみればすばらしい晴天! ありがたいことです。

多くの方のご協力で、フェスティバルを行う事ができました。 企画側含めて本当に楽しい一日となりました。 ボランティア、避難所のどちらの方も、フェスティバルに協力し支えてくださいました。 参加してくださったお一人お一人に心から感謝します。

震災犠牲者のための祈り

仙台市葛岡斎場にて、4月末まで「心の相談室」が宮城県宗教法人連絡協議会によって活動していました。
被災支援ネットワークも、キリスト教会としてこちらに積極的に協力し、また多くの聖職者、シスター、牧師、信徒有志の皆さまが、ボランティアとして相談室を実際に支えてくださいました。

始めは震災でご家族を亡くされ、しかし何の弔いの準備もすることができなかった方への、弔いのお手伝いができないかと手探りで始めた相談室でした。
その中で医療の問題、ご健康の問題。
大切な人を失う中で、悲しみや怒りや混乱、心の内を吐き出したい方。
財産などの法律問題、今後の生活の問題、特に一家の大黒柱を失ったご家族への支援、お墓の準備、お骨の保管など。
心の相談室は、そんな方の窓口になればよいと活動が広がっていきました。

また4月からは、身元不明のご遺体の火葬が始まりました。
緊急事態に対して宗教の枠を超え、被災で亡くなられ身元不明のままに火葬される方のために、火葬の度、お一人お一人に対して祈ることを行いました。

5月からは形を変え、電話相談(090-3756-1512)を中心に行う事となりましたが、葛岡はその歩みが始まった原点の場所です。

5月11日で震災発生から2ヶ月が経ちました。
そして葛岡には今なお、身元不明のままのご遺体、火葬されたご遺体が数多く残されています。

2ヶ月目を覚え、宮城県宗教法人連絡協議会が葛岡の遺体安置所で祈りの会を持ち、被災支援ネットワークも仙台のキリスト教会として、こちらに参加させていただきましたので、ご報告させていただきます。

いまだ「A-1**」「C-2*」というように番号と火葬されたお骨、そしてわずかに遺された遺留品だけが置かれた安置所で、聖公会の影山博美司祭の導きのもと、被災者を覚え、地震の起こった14時46分を中心に祈りを捧げました。

少しだけ慰めだったのは、番号だけが残されている方もいくつかあったこと。
あるいはこれらの方は、離れ離れだったご家族と再会することができたのでしょうか。

震災から2ヶ月という時間はあまりに短いものですが、亡くなられた方を心から悼みます。
そして一日も早く、皆さまの心が慰められる事を心から祈っています。

サンピアフェスティバル報告 その1 黙祷に先立って

去る5月7日に、若林区の避難所、サンピア仙台にて、「サンピアフェスティバル」が開催されました。

まず何よりも、沈みがちな気持ちを奮い起こしてわたしたちの提案を承認し、中心となってフェスティバルを作り上げた避難所の皆さまに敬意と感謝をいたします。

ボランティアも多くの方が参加してくださいました。

  • マイトレーヤさま、遠く山梨県から。
  • 日本国際飢餓対策機構さま
  • ALT有志の皆さま
  • サマリタンズ・パースさま
  • CRASH JAPANさま
  • 若林区吹奏楽団有志の皆さま
  • 陸上自衛隊音楽隊の皆さま
  • ボランティアグループ「瞬間(トキ)」の皆さま
  • 社会福祉協議会ボランティアセンターさま
  • 伊達の牛タン本舗さま
  • 有志のボランティアの皆さま

皆さま、本当にありがとうございます。
そしてお疲れさまでした。

被災支援ネットワークも微力ながら今回のフェスティバルに協力させていただきました。

今回、多くの方のご助力でフェスティバルを開催することができました。
お祭りは「ハレ」の行事です。
お祭りは沈んだ心の顔を上げさせ、どんなにつらい日常であってもそれを笑い飛ばすような、活力を与えてくれます。
まさに今回は被災者、支援者の枠を超え、全ての参加者が同じ仲間として、皆で作り参加し楽しんだ、すばらしい「お祭り」でした。
ゴールデンウィークが終わり、ボランティアの雰囲気も避難所の雰囲気も変わってきているように思います。
これから始まる日常の中でも、わたしたちが同じように仲間として歩んでいくことができる事を心から願っています。

フェスティバルの冒頭で黙祷が行われました。
事務局の川上が黙祷に先立って、その導きを述べさせていただきましたので以下に紹介させていただきます。

私は、15回も、ひっこしをしました。多くの街を見ました。今、東北で9年過ごしています。今、とても強く思います。東北は、素晴らしい。これだけの苦しみの中で、じっと耐え、微笑みを絶やさない。
東北人は、無口だと言います。本当にそうなのでしょう。でも、ハラの中に、言葉を練り上げておられる。そして、練り上げられたハラの中の言葉が、心をねばっこくする。そうして、ねばっこくなった心は、地震にも負けない。
フェスタの実行委員長が、言いました。津波は、いろいろなものを持ち去ったけれど、でも、津波が持ってきてくれたものもある。
・・・本当にそう思います。東北の素晴らしさへの敬意を、私は、津波の後に得たのです。
津波は、本当に大切な人を、たくさん、奪っていきました。そこで、私たちは言葉を失った。でも、私たちのハラの中に練られた言葉は、消えなかった。
今、私たちは黙祷しようとしています。黙って、祈る。黙ることで、言葉が練られます。
では、祈るとは、どういうことでしょう。
祈りとは、宛先のない言葉です。宗教は、神様とか仏様に向かって祈るといいます。でも、ほんとうは、なんだかよくわからないのです。宛先は、よくわからない。それが、祈りです。宛先がよくわからないから、祈りの言葉は、無限に広がります。無限に広がるのです。
だ から、私たちの言葉を、遠くまで、広げましょう。ものすごく広い範囲が、津波にやられました。その全域に、私たちのハラの中の言葉を届けましょう。300 を超える避難所があるといいます。その全てに、届けましょう。遠くに住んでいて、心配しているけれど、何もできないと、そう、がっかりしている人がいま す。そんなことないよって、言葉を届けましょう。私たちのハラの中で練られた言葉を。
今、黙って祈る。黙祷をする。そうして、すべての人に、全ての弱った人に、私たちの言葉を届けましょう。御一緒に、黙祷ができることを嬉しく思います。
それではご一緒に。黙祷。

サンピア仙台へのパソコン・インターネットの提供

仙台市若林区のサンピア仙台の避難所にパソコンとインターネットを提供させていただきました。4月25日に行われました「のみの市」の中で、避難所の事務にコンピュータが必要というお声をいただき、対応させていただいたものです。

この支援は、様々な団体の協力をいただき実現したものです。
サンピア仙台の方にも大変喜んでいただいており、こちらとしてもとても嬉しく思っております。
国際飢餓対策機構さま、Panasonicさまからパソコンの提供をいただきました。
パソコンはPanasonicさまから、国際飢餓対策機構を通して、被災地への1年間の無償レンタルされているものです。オフィスソフトも完備されていて、すぐに仕事ができる体制になっています。
また、パソコンを開けるとパソコンを提供してくださったパナソニック社員の皆さま、お一人お一人があたたかいお手紙をしたためてくださっています。

日本ナザレン教団さまからはインターネット接続のための機械(WiMax接続機)とその契約を負担していただきました。

被災支援ネットワークも含めまして、これからも互いに協力し合いながら、支援を続けていく事を願っております。

ヴァイオリン演奏家が仙台訪問

 4月27日(水)~28日(木)、ワトトジャパンのメンバー3名とクロアチア在住の日本人ヴァイオリニストの清水節子さんが仙台市を訪問し、避難所や保育所、区役所、商店街などでヴァイオリンの演奏を行ってくださいました。(ワトト・ジャパンについてはhttp://watoto.jp/
この訪問は、仙台市の民生委員であり被災支援ネットワークのメンバーである黒須践治さんと日本国際飢餓対策機構との協力によって実現したもので、一行は2日間で8ケ所を訪問、多くの方々が演奏に耳を傾けることができました。訪問先は以下です。

27日(水)

  • 保育園(青葉区)
  • 宮城野区役所
  • 被災された塾の先生方の集まり
  • FUJISAKI(デパート)の店頭 ~ 仙台の商店街のアーケード
  • 若林区避難所

28日(木)

  • 若林区役所
  • 特別養護老人ホーム チアフル遠見塚
  • 宿泊施設 岩沼屋

保育所では大勢のこどもたちが集まり、園の先生のピアノ伴奏に合わせて清水さんがヴァイオリンを演奏。クロアチア聖歌などに加えて、こどもたちのリクエストにもたくさん応えてくださり、「手のひらを太陽に」ではこどもたちが元気いっぱいに歌い、大合唱となりました。
 清水さんをマネージメントしておられるワトトジャパンの林さんは言います。
「全ての方々が被災しながら地元のケアをしているので、役所の方々やそこで支援活動をしておられる方々も相当に疲労しており、励ましが必要だと教えてくださいました。私たちは時間がゆるす限り、行ける場所に行くことをお伝えしました。
 その結果、地域復興支援のために尽力しておられる方々、つまり自衛隊、全国の警察官、役所の皆さん、全国から集まっているボランティアの皆さんと出会うことができました。様々な方々が集まっているところで、皆さんの励ましとなれる事を祈りつつ清水さんのヴァイオリン演奏と共に『お疲れさまです』とお声がけをさせて頂きました。」
良い交流の時となったことを感謝しています。清水節子さん、ワトトジャパンの皆さん、ありがとうございました。

3.11いわて教会ネットワークさんの企画に協力しています。

事務局の阿部です。
仙台キリスト教連合・被災支援ネットワークは、
仙台市内の多くのキリスト教会が、協力して被災支援を行っているネットワークです。
震災直後に始めた働きでした。

わたしたちと同じように、震災直後から岩手県の教会の方も互いに連携し、協力して活動されています。
それが3.11いわて教会ネットワーク(http://311.ichurch.jp/)です。

現在、いわてさんの方でとても素敵な企画を始められました。
こちらの温泉プロジェクト(http://311.ichurch.jp/?p=406)というものです。
被災された方の慰労のために、みんなで温泉に行こうというものです。
第一回が4月15、16日に行われ、大変好評だったようです。

温泉プロジェクトは、回数を定めながら今後も継続して行われる予定です。
そこで21日の被災支援ネットワークの会合で、
こちらの温泉プロジェクトに50万円の資金援助を行う事が承認されました。

岩手での働きが守られますように、どうぞご加祷をお願いいたします。

現在の被災支援ネットワークの活動について

現在の仙台キリスト教連合 被災支援ネットワークの活動について、
簡単にご紹介させていただきます。

まず、一つ目は毎週木曜日午後6時30分から開かれている会合です。
会場は、日本キリスト教団東北教区センターエマオ。
この会は、被災支援ネットワークの活動の報告、今後の活動の協議、
そしてネットワークを利用して、
それぞれのNPO団体が他の団体との情報交換をしていただくための
場を提供する事を目的としています。

4月21日の前回も、たくさんの団体の方がご出席くださいました。
活動を報告し、必要なものや助けたい、という情報を共有することで、
互いの活動の重複や弱点を協力して解決することができます。
次回は4月28日(木) 午後6時30分から
日本キリスト教団 東北教区センター エマオ(仙台市青葉区錦町1-13-6)
を会場として行われます。

キリスト教系以外の団体の方でも、どなたでもご参加してくださってかまいません。
どうぞ、お時間のある方は一度お越しください。

もう一つは、現在、葛岡斎場で設置されております「心の相談室」への参加です。

こちらの主催は、宮城県宗教法人連絡協議会さまです。
心の相談室は、
震災の混乱の中で、十分な弔いを準備することができなかった方、
身元不明のままで火葬される方の弔いのため、
震災に限らず、ご家族をなくされ、心に深い傷を負っている方のために、
今回の震災をきっかけに立ち上がりました。

わたしたち、仙台キリスト教連合も有志の方を中心に、積極的に協力しています。
多くの方が、大切な形をなくされた痛みに言葉を失われています。
宗教者の役割はそういった言葉を失われた方のそばに、
祈りをもって静かに寄り添うことではないでしょうか。

宗教のことだけではなく、医療、心のケア、経済問題、法律問題、
各分野の専門家の方と連携し、
適切な信頼できる方をご紹介できる体制を築いておりますので、
お困りの事がある方、
言葉にならないが、とにかく心のうちを話したいという方は、心の相談室をご利用ください。

相談室にご協力してくださる宗教関係者の方もお待ちしております。

4月25日サンピア仙台「のみの市」

皆さまお元気ですか。事務局の阿部です。
昨日、4月25日に若林区の避難所、サンピア仙台に行ってまいりました。
皆さまに大変喜んでいただけたようで、わたしたちにとってもとても良い一日となりました。

今回の計画の要旨について説明させていただきます。
まず、フリーマーケット形式にした理由ですが、お一人お一人の細かいニーズをこちらで全て掬い上げることは現実的に不可能です。
サイズ、色やデザインの好みは、本当に様々だからです。
避難所で生活される方は、地震の前までしていたように、買い物をして自分の好きな服を手に入れることができない、という問題を解消したいというところから、今回のアイディアが生まれました。
さまざまな服を持っていって、実際に手にとっていただき、ご自分に必要な服や小物を選んで、好きな量を持っていただきます。
こうすれば、こちらで用意できた物の中から、お一人お一人のニーズに柔軟に応答することができます。

また余った物品を持ち帰る理由は、避難所で頭を悩ませている問題に、物資を抱えることがあるためです。
避難所の生活はあくまで仮住まいですので、近くに全員が引越しを余儀なくされます。
また物置などのスペースも無いので、不必要な物資はそのまま生活の圧迫に直結します。
不要な物資を抱える事を多くの避難者は恐れています。
ですから今回、必要なものだけを提供し残りを持って帰ることで、
この問題を解消しています。

デメリットは支援する人員がある程度集まらないと、十分な形で実施できず、会場が混乱することと、欲しい物が手に入る人と手に入らない人が出てきてしまうことです。
これらの点は今後の検討事項です。

以上のようなアイディアで、のみの市を開催しました。
明日以降も、様々な避難所にこの形式の支援で巡回させていただきたいと考えています。
よろしくお願いいたします。
わたしのところにも来てほしいなどの要望があれば、ぜひ、事務局の阿部(sei_abeあっとhotmail.com "あっと"を@に変えて)
までご連絡ください。
他のNPOの皆さまのところでも、ぜひこの「のみの市」形式の支援、いかがでしょうか。

最後に今回の支援は韓国の企業さまから国際飢餓対策機構への、多くの衣服の提供によって実現しました。
心から感謝して、ご報告させていただきます。

4月18日の活動が河北新報で取り上げられました。

河北新報で東北HELPで協力して4月18日に行った、山元町での慰問コンサートと炊き出しを河北新報さんで取り上げてくださいました。東北HELPのメンバーの一人、黒須さんを中心に紹介してくださっています。

わたしたちの活動は様々な方たちが、お互いに協力し合うことを目指しています。
黒須さんもその趣旨に賛同してくださっている方の一人で、今回の活動でも中心となって取りまとめをしてくださいました。
黒須さんだけでなく、たくさんの方が東北HELPに参加して、活動しています。
わたしたちの働きが少しでも被災者の皆さまのためになるように願っています。

この葉書にお心当たりのある方はご連絡ください

石巻市でクリスチャンの方が書いたらしいお葉書が見つかりました。
送り手は「マスモリ」さんとなっています。女性の方です。

葉書が見つかったのは、宮城県石巻市門脇町5丁目7-20~28
細かい番地までは特定できませんが、20~28のどこかだと思われます。

各写真をクリックすると大きな画像になります。

個人情報ですので、丸のところは伏字です。 手紙の宛名は「寺○清○」さん、女性の方です。 住所は石巻市門脇町となっています。 お心あたりののある方は阿部までご連絡ください。

4月18日 宮城県山元町、森祐理さん慰問コンサートと玄米のおかゆの炊き出し

4月18日(月)に慰問コンサートと炊き出しのため、宮城県と福島県の県境にある山元町に行ってきました。
国際飢餓対策機構、サマリタンズ・パース、本郷台キリスト教会、東北HELPの各団体、そして森祐理さん、地元との連携を取りながら、炊き出しの準備をしてくださった仙台市太白区長町の佐藤さん、全体のとりまとめをしてくださった仙台市若林区南材の黒須さん。
たくさんの方々がそれぞれの力を出し合うことで実現した支援企画です。

まず、10台ずつを国際飢餓対策機構、サマリタンズ・パースが用意してくれた自転車20台を寄付。

その後、山元町の役場に向かい、そこで避難生活を送られている方へ、森さんが歌を送りました。
役場の方もたくさんの花を会場に飾りつけ、心のこもった準備をしてくださっていました。ありがとうございます。

森さんが歌われたのは、「ひとりの小さな手」「上を向いて歩こう」などの、どなたも知っている曲でした。皆さん、心から聞いてくださっているご様子でした。

続いて、役場から車で5分ほどの坂元中学校へ。
森さんに歌っていただきます。

炊き出しでお出ししたのは「炒り玄米のおかゆ」。
用意してくださったのは、仙台市太白区長町で料理教室を開かれている佐藤宏子さんです。この料理、玄米を使っているので健康にいいのはもちろん、一緒に使っている十年味噌が放射能に強い体を作るものだとか。
チェルノブイリ原発の事故の際も十年味噌がロシアに大量に輸出されたそうです。

たくさんの方の協力で実現した今回の支援。 微力ながらわたしたちもご協力できたことを嬉しく思います。 最後にいくつか坂元中学校の写真を紹介します。